冨田哲撮影

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李天祿布袋戲文物館

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李天禄布袋戯文物館

脈々と受け継がれる布袋戯の名人、李天禄・李傳燦親子を記念する資料館

布袋戯(台湾語で「ポテヒ」)とは、漢人の社会で継承されてきた人形劇で、李天禄(1910-1998)、李傳燦(1946-2009)は布袋戯の発展に生涯をささげた親子です。李天禄が設立した布袋戯の劇団である亦宛然は海外でも多数公演を行っており、非常に高い評価を受けています。台湾北端の三芝にある李天禄布袋戯文物館には、李親子の功績、布袋戯の人形、楽器、舞台装置などが展示され、歴史的に貴重なものも少なくありません。また関連書籍やグッズも販売されています。人形のレプリカなどはいいおみやげになるのではないでしょうか。文物館の一帯は芝柏山荘という芸術村であり、芸術家の作業場や民宿、喫茶店などが散在しています。

学びのポイント

布袋戯とは?

17世紀初期に福建南部で生まれたとされる芸能で、19世紀中ごろに台湾に伝わりました。人形のなかに手を入れ、たくみな指づかいで細やかな動作をつくりだします。伝統的な上演方式では、写真にあるような舞台で人形をあやつり台詞を語る「前場」と、楽器を演奏したり歌を歌ったりする「後場」という演者によって構成されます。かつては廟や街角、劇場などで演じられていましたが、テレビの普及などにより1970年代以降には人々の日常的娯楽としての地位を失ってしまいました。しかし海外で、さらには台湾でもその芸術的価値が認識されるようになり、今日では台湾を代表する伝統芸能の一つとして振興がはかられています。

李天禄とは?

李天禄は台北生まれで、父、祖父とも布袋戯の演者でした。幼いころから布袋戯を学び、1931年に亦宛然を立ちあげましたが、彼を台湾内外で一躍有名にしたのが1980〜90年代に出演した何本かの映画です。今日台湾映画界の重鎮となっている侯孝賢の監督作品では、「恋恋風塵」と「悲情城市」(→「九份」の項参照)で老人役を好演しました。また「戯夢人生」は、李自身を登場させての語りを交えながら、彼の半生を叙情的に描いています。長男の陳錫煌(1931-)、次男で亦宛然を継承した李傳燦とも著名な布袋戯の演者です。

冨田哲撮影

今後の伝承は?

大衆娯楽としての布袋戯の黄金期および衰退期を生きた李天禄ですが、それゆえに布袋戯の伝承や一般社会での認知の向上に熱心にとりくみ、多くの弟子を育てました。晩年の1996年にこの文物館、翌年に李天禄布袋戯文教基金会が設立されたのも、そうした努力が結実したものと言えるでしょう。今日でも亦宛然が、演者の育成や地元三芝の小中学校をはじめとする各地の学校での布袋劇の指導、普及に力を尽くしています。
さらに学びを深めよう
  • 【事前学習】【事後学習】【現地体験学習】日本統治期、とくに日中戦争期に、亦宛然など布袋戯の劇団は警察からの命令で、上演方法や演目の変更を余儀なくされました。その理由や実際にどのような変更がなされたのかについて調べてみましょう。
  • 【事前学習】【事後学習】時代の変化に合わせた布袋戯の新しいこころみについて調べてみましょう。たとえばテレビが普及した1970年代、あるいは今日ではどうでしょうか。
  • 【事前学習】【事後学習】布袋戯のほか、漢人社会で受けつがれてきた伝統芸能にはどのようなものがあるでしょうか。
参考資料
布袋戯の上演の映像が動画サイトなどに多数アップされています。鄧慧純(松本幸子訳)「「布袋戯」人形遣いの名人―人間国宝陳錫煌」『台湾光華雑誌 日本語版』2019年3月号は陳錫煌へのインタビュー記事で、親ゆずりの芸の伝承に対する熱意がひしひしと伝わってきます。陳錫煌のドキュメンタリー映画『台湾、街かどの人形劇』(楊力州監督、2019年)もおすすめです。李天禄との関係についての言及もあります。佐藤幸人「「Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀」考―日本企業と台湾企業が手を組んで生み出した新しいエンターテイメント」 (アジア経済研究所、2021年)は、今日的なエンターテイメントとしての布袋戯の可能性について論じています。赤松美和子・若松大祐編『台湾を知るための60章』(明石書店、2016年)の第40章「演劇」に、伝統的、現代的なものをふくめ、台湾のさまざまな演劇の紹介があります。

(冨田哲)

ウェブサイト
公式 https://www.litienlu.org.tw/

(中国語・英語)

所在地
新北市三芝区芝柏山荘芝柏路26号