鄭南榕紀念館 鄭南榕紀念館

人生をかけて「台湾が自由な国になるきっかけ」を作った鄭南榕

攝影:宋隆泉

1980年代の台湾において民主化を推し進めた市民運動の担い手のうち、後に政治家となるさまざまな活動家と協力しながらも独自の道を進み、壮絶な最期を遂げた鄭南榕(てい・なんよう、1947-1989)を紹介しています。死後10年経った1999年にオープンした紀念館は、鄭南榕が運営していた雑誌社を利用したもので、編集長室が当時のまま保存されています。二二八事件が起こった1947年に生を受けた鄭南榕は、生涯をほぼ戒厳令下で過ごしましたが、当時の政治状況を批判する言論を次々と発表するとともに、公の場ではじめて「台湾独立」を主張しました。独自の思想と強い信念を持って「100%の言論の自由」を目指し、「決して権力に屈服しない道」を選んだ鄭南榕の生い立ち、活動(言論活動=雑誌発行と市民運動の両輪)、その死が後世に与えた影響などを知ることができます。獄中日記などの遺品をはじめ、旗振り役となった民主化運動の写真が展示され、台湾民主化の歩みが一望できます。

学びのポイント

「100%の言論の自由」とは?

台湾の民主化を推し進めた反政府運動のリーダーには、のちに政治家となって活躍した人も少なくありません。その中で、鄭南榕はなぜ「雑誌」というメディアを選び、何度も発行禁止処分を受けながらも言論の場を人々に提供したのでしょうか。「100%の言論の自由」を掲げたのは、真に自分たちの国を作るためには、自分たちの言葉で自由に議論と批判を繰り返し、ルールを定めることが最も重要だと考えたからです。つまり、自由の第一歩は、100%の言論の自由にある、これが鄭南榕の思想です。

鄭南榕紀念館提供

「芸術に政治を持ち込むな」?

現在、基金会の運営の中心となっているのは20代から30代の若い人々です。「言論自由日」と定められた命日の4月7日に行われる追悼式では、2016年に世界的なヘヴィメタルバンド、CHTHONIC(ソニック)のヴォーカルで国会議員も務めるフレディ・リムが記念講演を行っています。紀念館では若いアーティストによる作品発表(パフォーマンスやインスタレーション、写真など)が不定期で行われ、基金会では「自由の路芸術祭」も主催しています。さらに、滅火器(Fire EX.)や董事長楽団(The Chairman)ら、メジャーシーンで活躍するロックバンドも鄭南榕を記念するイベントに出演しています。

後世に託されたものは?

鄭南榕の命をかけた行動は、当時、民主化に関わっていた人々をさらに大きく動かしました。「あとは頼んだ」という言葉を残し、鄭南榕は生を終えました。やると決めたことは必ずやる、そうした人となりは、決して英雄を志したものではなく、信念に基づく一貫した行動によく表れています。彼の志は、国内外で民主化運動に携わる人々へと継承されました。

さらに学びを深めよう

  1. 【事前学習】【事後学習】台湾の民主化は上からの政策と、それに先行する下からの市民運動の相互作用によって展開したのが特徴で、鄭南榕の活動は後者の流れにあります。この相互作用を踏まえ、また周辺の国々とを比較しながら、台湾の民主化の歴史について調べてみましょう。
  2. 【事前学習】【事後学習】「国家」に必要な条件とは何でしょうか。公民で学ぶ国家の三要素について、SNET台湾チャンネル「台湾修学旅行アカデミー」の第1回「台湾とは何か」を見て考えてみましょう。
  3. 【現地体験学習】紀念館のある路地は、鄭南榕にちなみ「自由巷」Liberty Laneと名付けられています。標識を探してみましょう。

参考資料

鄭南榕本人を扱ったものとして、人気の若手デザイナー集団「圖文不符」による短編アニメーション『四月七日』(ノーナレーション)があります。エドワード・ヤン監督の映画『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』には鄭南榕の通っていた時代の建国高級中学が登場し、当時の雰囲気がうかがえます。戒厳令下で政治運動に関わった人の処遇については、ソン・シンイン監督のアニメーション映画『幸福路のチー』の、何らかの運動にかかわっているらしい従兄に注目。鄭南榕の死後大きく前進した民主化運動のひとつ「野百合学生運動」は、ヤン・ヤーチェ監督の映画『GF*BF』の背景として描かれています。

(津村あおい)

ウェブサイト
公式 http://www.nylon.org.tw/
所在地
台北市松山区民権東路三段106巷3弄11号3階
特記事項
日本語ガイドツアーあり(要予約)。キャパシティの関係上、一回に最大20人程度まで(15人を超える場合は応相談)。