國府俊一郎提供

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新竹市立動物園

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新竹市立動物園

市民の憩いの場として蘇った歴史ある動物園

新竹市立動物園は、緑豊かな新竹公園の中にある動物園で、日本統治時代の1936年に開園しました。新竹公園内には、この動物園のほか、ガラス工芸博物館や孔子廟などの施設があり、自然科学だけではなく、新竹市の歴史や文化についても学ぶことができます。新竹市立動物園を含む新竹公園一帯は、市民の憩いの場として全面的に改修されています。台湾における新たな都市再生計画の実例の一つとして、地域経済の面からも多くの学びを得られるでしょう。台湾鉄道新竹駅から徒歩で12分という立地の良さもまた、魅力のひとつです。

学びのポイント

新竹市立動物園と戦争、そして復興まで

新竹公園は1917年に整備され、その中に動物が見られる施設がありました。それが1936年に拡張され、公立の動物園として開園したのが新竹市立動物園の原型です。当時は日本の内地でも地方都市に小規模な動物園が数多くつくられた時期でした。福岡や名古屋に現存する地域密着型の動物園もこの時期に開園しています。しかし、第二次世界大戦は動物園にも悲惨な傷痕を残しました。台湾の動物園も日本の動物園と同様、大きな被害を受けました。新竹市立動物園も爆撃によって施設の多くが破壊され、1945年に閉園、動物たちは台北の円山動物園に移されました。その後動物園跡地は市民のレクリエーションの場として使用されていましたが、1957年に北海道で生まれたツキノワグマが贈られたことを契機に動物の展示が再開、1961年に動物園として復活しました。

地域の動物園の存在意義が問われる時代へ

1970年代、台湾の高度経済成長期にレジャーが普及し、新竹市立動物園も1979年には1日の来場客が最大2万2000人に達するほどの来場するほどの人気スポットとなりました。しかし、新竹市立動物園には、パンダはもちろん、動物園の人気者のゾウもキリンもいませんでした。飼育されている動物は、サルやカバ、トラ、オランウータンなどの、動物園ではお馴染みの動物がほとんどでした。1990年代に入って高速道路が整備され、台北や新竹の郊外に大型動物園ができると、目玉となる動物がいない新竹市立動物園には訪れる人が減って毎年赤字を計上、老朽化も進む一方でした。動物の種類を増やし、珍しい動物も飼育するべきだとの声もありましたが、新竹市は人口約40万人で台北市のような大規模な都市ではなく、予算がありません。当然、動物園の廃止も検討されました。しかし、最終的には、新竹市は動物園を残す決断をしたのです。

國府俊一郎提供

地域の動物園の意義とは

新竹公園一帯は歴史的な建造物を残しつつ、現代的な市民生活に適応した憩いの場とすることをめざし、2015年から再開発が始まりました。動物園もリニューアルのために2017年5月29日から閉園、2019年12月28日に「新竹市立動物園REBORN」として生まれ変わりました。そのテーマは「保育・教育・研究・レジャー」です。子どもの頃から気軽に動物と触れ合う場、「足洗い場」など、動物園各所に残る日本統治時代からの歴史に触れることができる場、動物の飼育に関する研究の場、さらには、市民の憩いの場であることが、新しい「新竹市立動物園」のコンセプトとなりました。動物園の周りにはスポーツ施設や博物館があるほか、花市や夜市も開かれています。新竹市民の新しい憩いの形を皮膚で感じてみてください。
さらに学びを深めよう
  • 【事前学習】【事後学習】私たちの身近にある動物園の歴史を調べよう。
  • 【事前学習】【事後学習】動物園に併設された学びやレジャーの施設、鉄道や高速道路などの交通インフラについて調べてみよう。
  • 【現地体験学習】台湾鉄道新竹駅から新竹駅まで歩いて、台湾の交通事情について学び、市民生活をより良くするためには、どのような改善ができるか考えてみよう。
参考資料
日本の動物園の歴史については、若生謙二 「近代日本における動物園の発展過程に関する研究」(『造園雑誌』第46号の1、pp.1-12、1982年)を読んでみましょう。近年の日本における動物園の意義と役割については、土井利光「都市環境における動物園及び水族館の意義と役割」(『観光科学研究』第6号、pp.66-76、2013年)に整理されています。

(國府俊一郎)

ウェブサイト
公式https://zoo-info.hccg.gov.tw/park-introduction?tabName=intro

(日本語・中国語・英語)

所在地
新竹市東区食品路66号