戦後、台湾では1949年から1987年まで38年間戒厳令が敷かれていました。戒厳令とは、国家の非常事態に発令される法律で、市民の行動を制限するものです。発令されると国の統治権の全部または一部が一時的に軍に移されます。一党独裁下の台湾では、特務機関、軍関係者、憲兵、警察などが「共産党スパイ」を捕まえる目的で、自らが疑いをかけた市民を逮捕し尋問や拷問にかける権利を持っていました。「政治犯」として疑いをかけられ捕まった人々の中には、政府に意見をする有識者たち、民主主義を勝ち取る運動を行っていた人々、それ以外にも、単に読書会に参加したことのある学生、ただ気に食わないと連行された人などがおり、その数は台湾全土で数十万人以上と言われています。
前原志保提供
軍法処は「反乱」の汚名を着せられた政治犯たちが入る施設です。政治犯として捕らえられた人々は、一旦不衛生な獄舎にぎゅうぎゅう詰めに押し込められた後に、肉体的にも精神的にも追い詰められるような拷問を受け、軍の法律による秘密裁判で裁かれました。死刑の判決が言い渡されたものは、すぐに刑場に連れて行かれ銃殺刑にされ、懲役刑の判決をうけたものは軍人監獄や緑島に送られて長期間監禁されました。監獄には送られずにそのまま看守所に残る政治犯もいましたが、彼らは、格安の工賃で政府機構のクリーニング、裁縫、建築用の砂利取り、装飾品加工などの仕事を強制的に請け負わされていました。
前原志保提供