國家人權博物館 白色恐怖景美紀念園區 国家人権博物館 白色テロ景美紀念園区

かつての国家権力による理不尽な人権抑圧の歴史を伝える博物館

国家人権博物館提供

国家人権博物館 景美記念園区は、2018年5月に完成した博物館です。もともとこの場所には1957年から67年まで軍の学校があり、その後、1967年からは「景美軍法処看守所」として、白色テロ時代の政治犯の拘置や秘密裁判が行われていました。白色テロとは、戒厳令下の台湾で、政府が反体制派とみなした人々に対して行った政治的な弾圧のことを言います。白色テロの時代、多くの罪のない人々が長い時間この場所に閉じ込められ強制労働をさせられていました。台湾では、2017年に「移行期の正義促進条例」が施行され、過去の権威主義的な統治のもとで行われた不当な人権侵害についての真相究明と名誉回復、そして加害者の責任究明が行われており、この博物館には白色テロの被害者の口述・映像記録、手紙、日記など貴重な資料が公開されています。

学びのポイント

「政治犯」と呼ばれる人々は、どのような人たちだったのでしょうか?

戦後、台湾では1949年から1987年まで38年間戒厳令が敷かれていました。戒厳令とは、国家の非常事態に発令される法律で、市民の行動を制限するものです。発令されると国の統治権の全部または一部が一時的に軍に移されます。一党独裁下の台湾では、特務機関、軍関係者、憲兵、警察などが「共産党スパイ」を捕まえる目的で、自らが疑いをかけた市民を逮捕し尋問や拷問にかける権利を持っていました。「政治犯」として疑いをかけられ捕まった人々の中には、政府に意見をする有識者たち、民主主義を勝ち取る運動を行っていた人々、それ以外にも、単に読書会に参加したことのある学生、ただ気に食わないと連行された人などがおり、その数は台湾全土で数十万人以上と言われています。

前原志保提供

「景美軍法処看守所」とはどのような施設だったのでしょうか?

軍法処は「反乱」の汚名を着せられた政治犯たちが入る施設です。政治犯として捕らえられた人々は、一旦不衛生な獄舎にぎゅうぎゅう詰めに押し込められた後に、肉体的にも精神的にも追い詰められるような拷問を受け、軍の法律による秘密裁判で裁かれました。死刑の判決が言い渡されたものは、すぐに刑場に連れて行かれ銃殺刑にされ、懲役刑の判決をうけたものは軍人監獄や緑島に送られて長期間監禁されました。監獄には送られずにそのまま看守所に残る政治犯もいましたが、彼らは、格安の工賃で政府機構のクリーニング、裁縫、建築用の砂利取り、装飾品加工などの仕事を強制的に請け負わされていました。

前原志保提供

さらに学びを深めよう

  1. 【事前学習】戒厳令が発令されるきっかけとなった「二二八事件」「戒厳令」「白色テロ」「政治犯」「移行期正義」など、この博物館を見学する際に必要なキーワードがあります。台湾で過去におきた国家ぐるみの人権侵害問題を理解するために、それらの意味を調べてみましょう。
  2. 【現地体験学習】「景美軍法処看守所」に閉じ込められていた人々の1日はどのようなものだったでしょうか。現地でガイドさんの話を聞いて調べてみましょう。
  3. 【現地体験学習】国家人権博物館 景美記念園区の中には、白色テロで投獄された元収容者の名前が刻まれた記念碑があります。どれだけ多くの人々がそこに収容されていたのかを確かめてみましょう。
  4. 【事後学習】ここには美麗島事件に関わったとして多くの政治犯が収容されていました。美麗島事件がどのような事件だったか調べてみましょう。

参考資料

国家人権博物館については、「おうちで楽しもう台湾の博物館」第3回「国家人権博物館」の動画をみてみましょう。台湾の公共放送局である、Rti台湾国際放送のyoutubeチャンネルに、「『台湾の人権に出会う旅―景美人権パーク』(日本語)という5分弱の動画があります。白色テロを描いた映画に、台湾のゲーム会社RedCandleGames(赤燭遊戲)が開発したホラーアドベンチャーゲームを原作とする、徐漢強監督の「返校」があります。

(前原志保)

ウェブサイト
公式 https://www.nhrm.gov.tw
所在地
新北市新店区復興路131号
特記事項
英語と中国語でのガイドツアーあり(要予約)。10人以上来場から受付で1週間前までに予約要。日本語音声ガイド貸し出しあり(貸出には身分証明書を預ける必要あり)。また、日本語のガイドアプリをダウンロードできる。(iOSのみ)