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慈林紀念館

慈林紀念館

現代台湾政治史の悲劇「林義雄母子惨殺事件」の記憶を語り継ぐ

1980年2月28日、美麗島事件(1979年12月、世界人権デーに美麗島雑誌社主催のデモが住民と警察の衝突に発展し、反体制運動の指導者らが大量に逮捕された。台湾民主化運動の分水嶺とされるできごとの一つ)に関与したことで投獄された台湾省議会議員林義雄の自宅で、その母親と双子の娘が殺害される「林義雄母子惨殺事件」が発生しました。犠牲になった家族を悼んで、林夫妻は慈林教育基金会を設立します。1993年には、林義雄の母親の旧宅を慈林紀念館に改装しました。現在も当時の建物がそのまま保存され、さらに美術館、書道館、台湾民主運動館などが新たに建てられ、様々な展示が開かれています。また、この事件の現場となった台北市の自宅は義光教会となり、市民に公開されています。

学びのポイント

林義雄とは?

日本統治時代の宜蘭に生まれた林義雄は、台湾大学法学部を卒業し、弁護士として活動しました。戒厳令が解除される1987年まで、台湾で反国民党ないし非国民党の勢力は「党外」と呼ばれましたが、林義雄は代表的な党外人士の一人でした。1977年に宜蘭で台湾省議員に当選しましたが、2年後には美麗島事件に関与したことで投獄され、収監中に林義雄母子惨殺事件が起きました。1984年に仮釈放された林義雄は、妻と一緒にアメリカへ留学し、1989年に台湾に戻って、社会運動の担い手を育成する慈林教育基金会を設立、反原発や国会議員の定数削減など、様々な社会改革に取り組みました。

現代台湾政治史の悲劇:林義雄母子惨殺事件

美麗島事件後、林義雄が拘置所に送られる1980年2月28日に、彼の母親と双子の娘が留守宅で殺害され、長女も重傷を負いました。権威主義時代に「政治犯」とされた人物の自宅、人間関係などは政治警察の監視対象でした。そのため、事件は政府の直接的な指示によるものではないとしても、政治警察の黙認の下で行われた政治テロ事件であった可能性が高く、その目的が政府に批判的な考えを抱く人々に恐怖心を与えることにあったと考えられます。この悲惨な事件によって、台湾政治への関心がそれほど高くなかった国内外の多くの人々の間でも、国民党政権に対する不信感が募り、台湾の政治情勢に関心を寄せるきっかけとなりました。
さらに学びを深めよう
参考資料
若林正丈『東アジアの国家と社会2 台湾 分裂国家と民主化』(東京大学出版会、1992年)では、美麗島事件の経緯とその後の影響について詳しく説明しています。また、若林正丈がネット連載中の『私の台湾研究人生』では、「2つの衝撃――林義雄「滅門」事件と葉石濤の語り」の回で、林義雄母子惨殺事件に触れています。

(郭書瑜)

ウェブサイト
公式https://www.chilin.org.tw/

(中国語・英語)

所在地
宜蘭県五結郷二結路339号
20名以上は要予約