鶴園裕基撮影

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八八坑道

八八坑道

戦車を守るトンネルから銘酒造りのトンネルへ

馬祖は台北から飛行機で約1時間、台湾島から北西に約211km離れた列島です。現在の中華民国政府の施政地域では最北端にあたり、対岸の中華人民共和国福建省からはおよそ20kmしか離れていません。冷戦時代の馬祖では大規模な戦闘こそ発生しませんでしたが、金門と並んで中台対立の最前線でした。馬祖の主要島嶼の一つである南竿島にある八八坑道は、もともとは中国共産党軍の侵攻に備えて建設された軍事用のトンネルです。1974年に完成した際、蔣介石の88歳を記念してこの名前が付けられました。1992年の軍事動員体制の終了後は馬祖酒廠の高粱(コーリャン)酒の貯蔵施設として使われ、現在では多くの観光客が訪れるスポットとなっています。

学びのポイント

馬祖の地理・気候・交通

日本ではしばしば「馬祖島」と呼ばれますが、馬祖は単一の島ではなく、複数の島嶼からなる列島です。列島の中央に位置するのが南竿島と北竿島です。南竿、北竿から見て北東に西引島、東引島が、南に西莒島、東莒島があり、ほかに高登島、亮島があります。馬祖は中華民国の行政区域として連江県を構成しています。対岸の大陸部にも連江県がありますが、こちらは中華人民共和国の統治下に置かれています。年間の平均気温は19℃、平均降水量は1045ミリと、台湾島に比べて気候は冷涼で乾燥しています。台湾島の主要都市と南・北竿島は空路と海路で結ばれ、馬祖の各島間は海路で結ばれています。島内を回る観光客はバスやレンタルバイク、または地元タクシーを利用します。

高梁酒と国共対立の歴史

高梁酒は蒸留酒の一種で、穀物のコーリャンなどを原料として作られます。今日の台湾では馬祖高梁酒は金門高梁酒と並ぶ有名ブランドですが、その成り立ちは国民党と共産党の軍事的対峙の歴史と深く関わっています。馬祖高梁酒を製造する馬祖酒廠は、馬祖戦地政務委員会が1956年に現地の民間酒造を接収して中興酒廠を設立したことに由来します。軍事と政治が高度に一体化された体制のもと、公営事業として作られていたのが馬祖のお酒だったのです。八八坑道は共産党軍の侵攻に備え、戦車などを攻撃から守るために作られたトンネルでしたが、1992年の軍事動員体制終了以降は高梁酒の貯蔵施設として活用されています。ここで長期間寝かされた高梁酒は「八八坑道」の商品名で出荷され、台湾の愛飲家に好まれています。

高粱酒の作り方

高粱酒の作り方は次のとおりです。まず原料のコーリャンを砕き、水を加えて蒸した後、空気に晒して冷やします。ついで糊化した原料を麹、糟と混ぜ、20〜25日間発酵させます。このときに酵母がブドウ糖を分解してアルコールを生成します。発酵によってできた醪(もろみ)を蒸留してできるのが高粱酒です。高粱酒は甕につめて貯蔵され、一定期間寝かせたあと、瓶につめて出荷されます。度数は42度から58度と高く、瓶を開けると濃厚で複雑な香りが漂います。甕で寝かせた期間が長いものほど高級品とされ、瓶詰め後も熟成が進むため、未開封のオールドボトルは高額で取引されます。

鶴園裕基撮影




さらに学びを深めよう
  • 【事前学習】台湾と馬祖、中国大陸の位置関係をグーグルマップで確認し、台湾から馬祖への交通手段を調べてみましょう。
  • 【事前学習】【事後学習】金門と馬祖の共通点と違いを調べて考えてみましょう。
  • 【事前学習】日本で作られているお酒のなかでは何が高粱酒と近いか調べてみましょう。
参考資料
馬祖全体の歴史と文化を紹介したエッセイとして、栖来ひかり「たいわんほそ道~馬祖──島と島をつなぐ海の道をゆく」(前編 : 後編)が挙げられます。また馬祖の各スポットの概要は、交通部観光局の日本語ウェブサイトが比較的充実しています。現地では、南竿ビジターセンターで配布されているパンフレット「バックパッカーとして馬祖を楽しもう!バックパッカー向け馬祖完全攻略」が入手できます。観光スポットが一覧でまとまっており、見やすく便利です。高粱酒の製造方法や歴史を記述したものとしては、周恒剛「中国の白酒(高梁酒)」(『化学と生物』24(2)、1986)が読みやすいです。

( 鶴園裕基)

ウェブサイト
交通部観光局馬祖国家風景区管理処 https://www.matsu-nsa.gov.tw/Attraction-Content.aspx?a=2721&l=3
馬祖酒廠 https://www.matsuwine.com.tw/blade_change?id=25

(中国語)

所在地
連江県南竿郷復興村208号