山﨑直也氏提供

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陳景蘭洋樓

陳景蘭洋楼

華僑の故郷金門について学べる洋風建築

金門は「華郷(華僑の故郷)」と呼ばれています。この島から多くの人々が日本や東南アジアに移り住み、成功した華僑は金門に戻り、洋楼と呼ばれる立派な建築物を建てました。陳景蘭洋樓はその代表的なもので、シンガポールで財を成した商人陳景蘭が1921年に建てました。金門で最も大きな洋風建築です。建物の内部には、陳景蘭一族の家系図や当時の華僑の暮らしの様子がわかる展示があります。第二次世界大戦以前は日本軍指揮所として使われ、1959年から1992年までは、金門の兵士たちの娯楽の場(「金門官兵休暇中心」)として使われました。2003年に歴史建築に指定されています。

学びのポイント

故郷を潤す華僑

金門は農業に適した島ではありませんでした。それにも拘わらず、人口が多く、生活の糧を求めて金門を離れる者も少なくありませんでした。インドネシアやシンガポールのみならず、日本に移民する者も多く、長崎や神戸には金門にルーツを持つ人々がいます。海外で成功した華僑は、故郷に錦を飾り、立派な家を建てたり、祖先を祭祀する建物(家廟)を造営したりしました。時には学校もつくりました。陳景蘭洋樓もそのような建物の一つです。金門には他にも洋風建築として有名な黄輝煌洋楼や、子どもたちが無料で学ぶことができた睿友学校等があります。

複雑な歴史をもつ金門

唐代から清代まで金門は、東南中国における海上防衛の要所でした。科挙合格者を多く出した一方で、海外に移住する者も続出しました。日中戦争が勃発して、1937年から1945年まで日本軍に占拠され、戦後は、中国国民党と中国共産党の対立の最前線となりました。現在も激しい攻防の跡が残っており、翟山坑道などその一部は見学できます。1980年代以降、直接的な争いはなくなりますが、防衛の重要性に変わりはなく、多くの軍人が金門に駐屯し続けました。軍人を主な対象とした慰安所(特別茶室)もありました。1993年から観光地として開放され、駐在する軍人も少なくなり、人口減に悩む金門県は、中国との経済的結びつきによって活性化を図ろうとしています。
さらに学びを深めよう
  • 【現地体験学習】 華僑の人々が建てた洋風建築にはどのような特徴があるでしょうか。
  • 【現地体験学習】中国との戦いのなかで金門の人々はどのような暮らしを強いられてきたでしょうか。また、金門の各スポットの説明で、日本軍の占拠についてどのような記述があるかを探してみましょう。
  • 【事前学習】【事後学習】金門と中国の間では近年、どのような交流があるでしょうか。探ってみましょう。
参考資料
金門島にある洋風建築については、辛永勝・楊朝景『再訪 老屋顔 台湾名建築めぐり』(エクスナレッジ、2019年)に代表的な建物が紹介してあります。金門社会や歴史については、『地域研究』11-1(2011年)の「特集1 金門島研究 その動向と可能性」が参考になります。その一部(http://www.jcas.jp/11-1-02_jcas_review_kawashima.pdf)はネットで見ることができます。また視野を広げて華僑について知りたい場合は、山下晴海編『華人社会がわかる本-中国から世界へ広がるネットワークの歴史、社会、文化』(明石書店、2005年)を読んでみましょう。

(上水流久彦)

ウェブサイト
金門観光旅遊(金門県政府観光処)https://kinmen.travel/ja/travel/attraction/1581
所在地
金門県金湖鎮成功村1号