花蓮文化創意產業區 花蓮文化創意産業区(旧台湾総督府専売局花蓮工場)

酒の醸造から文化の醸成へ転身した工場跡地

下野寿子撮影

花蓮文化創意産業園区は、1913年から75年続いた酒工場を改修した施設です。日本統治時代には総督府専売局の酒工場で、戦後は中華民国に引き継がれました。約3.3haの敷地には、日本建築、酒工場と煙突、貯蔵倉庫、古井戸、防空壕などがあります。戦争中は連合軍の爆撃で工場の3分の2が破壊され、1951年には震度6の地震で大きな被害を受けましたが、1988年の郊外移転までこの地で操業しました。工場閉鎖から20年後、26棟ある建物の大半が歴史建築に指定され、歴史保存、文化芸術の振興、飲食店やショップを組み合わせた複合施設として再出発しました。花蓮市中心部に位置する園区は、建物を除いて24時間開放され、市民が散策や夕涼みを楽しんでいます。

学びのポイント

日本統治時代はどんな酒を造った?

1913年、宜蘭振拓株式会社がこの地に酒工場を創設しました。1922年に総督府が酒を専売制にすると、台湾全土に200余りあった民間の酒工場は操業停止になりました。宜蘭振拓の工場は総督府専売局の花蓮酒工場となり、米酒、糖蜜酒、紅露酒(紅酒、アンチューとも言います)を生産しました。紅露酒は、中国大陸南部の酒で、米と紅麴で造ります。後に専売局の神谷俊一技師が仏領インドシナからアミロ法というフランスの技術を導入すると、品質と生産性が向上しました。

今でも専売制はある?

日本が導入した専売制は、戦後も実施されました。日本統治時代はアヘン、酒、タバコ、塩、樟脳、マッチ、石油、度量衡器が専売の対象でした。中華民国政府は、当初、酒、タバコ、樟脳、マッチ、度量衡器を専売にしましたが、1947年にはタバコ、酒、樟脳だけとし、1968年には酒とタバコだけを専売にしました。経済の自由化と国際化により、2002年に専売制が廃止されると、酒やタバコには税制が適用されました。専売を担当していた公売局は、酒工場、ビール工場、タバコ工場をもつ台湾菸酒股份有限公司(TTL)という企業になりました。

花蓮文化創意産業園区って何?

1990年代から台湾は、歴史的な資産を活かして新たな価値を創造し、それを産業化して経済成長の原動力にしようとしてきました。その方針の下で、花蓮の酒工場跡地は、伝統と現代が融合する空間に転身しました。園区は、自然と産業と生活のバランスが取れた台湾東部のライフスタイルを反映しています。また、文化創意産業を担う人材を育成するほか、事業として成功するように運営を民間団体に委託しています。

さらに学びを深めよう

  1. 【事前学習】【事後学習】日本ではかつてどのようなものが専売制になっていたのか、調べてみましょう。
  2. 【現地体験学習】花蓮文化創意産業園区には、様々なMIT(メイド・イン・タイワン)の雑貨、食品が売られています。花蓮にはどのような特産品があるかどうか、調べてみましょう。

参考資料

台湾の歴史建築の活用状況については、新井一二三『台湾物語―「麗しの島」の過去・現在・未来』(筑摩書房、2019年)の「第4章 赤レンガと廃墟の物語」があります。その中で著者は、「文化創意ブーム」のひとつとして花蓮文化創意産業園区を紹介しています。少し専門的になりますが、金子展也「日本統治時代の台湾に於ける酒専売と構内神社」(『非文字資料研究センター News Letter』第33号、2015年1月)によると、花蓮文化創意産業園区にも神社があったことがわかります。また、現在の花蓮酒工場の生産状況や紅露酒については、吉田元「台湾の米酒、紹興酒、紅露酒」(『日本醸造協会誌』第92巻、1997年8月)があります。

(下野寿子)

ウェブサイト
公式https://hualien1913.nat.gov.tw/ 花蓮観光資訊網(花蓮県政府)http://tour-hualien.hl.gov.tw/POI/59
所在地
花蓮市中華路144号
特記事項
園区は24時間開放。服務センターは10:00~18:00(月曜日休み)、その他は施設ごとに確認。