中村加代子提供
台東鐵道藝術村
台東鉄道芸術村
廃駅跡から地域と芸術の未来を拓く
かつて台湾東部を走る鉄道は西部の鉄道と規格が異なり、また地理的制約から孤立していました。1980年代から90年代にかけて、新路線の建設や改良が進んだことで、台北や高雄など台湾の各地域に接続されました。2001年、それまで台東地区の中心駅となっていた台東駅が廃止され、台東鉄道芸術村として生まれ変わりました。現在では、旧駅の遺構や車両などが保存、展示されているだけでなく、国内外の芸術作品が展示され、フリーマーケットなどにも活用されています。
学びのポイント
かつての台東線は孤立した「ナロー」路線
台湾東部を走る台東線はかつて西部を走る鉄道と接続しておらず、孤立していました。花蓮と台東の間は日本統治時代から鉄道建設が進められ、最初の区間は1910年に開業しました。台東に鉄道が開業したのは1922年のことです。その後、1926年に花蓮と台東の間に鉄道が開業しましたが、当時の台東線は台湾西部の縦貫線と異なり、ナローゲージと呼ばれる線路幅が狭い規格を採用していました。1920年代の台湾東部にはまだ貨物、旅客輸送の需要が大きくなかったためです。しかし、当時からトンネルなどは将来の直通を見据え、西部鉄道と同じ規格を採用していました。東西鉄道直通の夢は、1980年に宜蘭と花蓮を結ぶ北廻線が開業し、さらに1982年に台東線が改軌され、台北と台東の間を直通列車が走るようになったことで実現しました。さらに、1992年に枋寮と台東を結ぶ南廻線が開業し、鉄道で台湾を一周できるようになりました。
新旧の台東駅
北廻線、南廻線が開業し、台東線が改軌されたことで、台湾の東海岸へと移動する人は次第に増加しました。現在でも、台北と花蓮、台東を結ぶ特急列車のチケットは平日でも取ることが難しい区間です。1985年、南廻線の卑南と知本間が開業しましたが、南廻線のなかでは最も早期に開業した区間であり、徐々に延伸された結果、1992年に台東と枋寮間も鉄道で移動できるようになりました。このとき、卑南駅は台東新駅に改称されました。当時の台東駅は、台東市街の中心部に位置していましたが、台東線と南廻線が乗り入れたT字型に伸びる支線の先にあるという関係になっており、両線が接続するのは当時の台東駅ではなく、台東新駅でした。台東線・南廻線の利用者が増加すると、台東駅まで列車を乗り入れることが列車の運行本数を増やす妨げになっているなどとの理由から2001年に廃止され、台東新駅が新たに台東駅となりました。
観光地として復活した廃駅跡
廃止された旧台東駅には、バスターミナル(台東公共運輸交匯処)が設けられ、依然として台東市の交通の中心となっています。それだけでなく、駅の跡地を台東鉄道芸術村として保存、活用しています。駅舎はすでに撤去されていますが、かつてのプラットホームや転車台、機関庫、そして台東線などで運行されていたディーゼルカーなどが保存されています。それだけでなく、芸術村として意匠を凝らしたさまざまな作品が展示されています。現在の台東駅には、台東付近に多く住む先住民族であるアミ族やプユマ族の芸術作品や遺跡などが展示されています。これに対して旧台東駅には台湾内外の芸術家による作品が展示され、隣接する鉄花村に常駐するミュージシャンが訪れる人々のために音楽を演奏しています。付近には旧鉄道倉庫のほか、コンテナを改装した雑貨店やレストランが集まっているエリアもあります。夜にはランタンなどでライトアップされ、明るい太陽のもととは違った雰囲気を楽しむことができます。
中村加代子撮影
さらに学びを深めよう
- 【事前学習】【事後学習】ナローゲージとはなんでしょうか。日本にもあるか調べてみましょう。
- 【現地体験学習】台東の文化、芸術を体験してみましょう。台東駅もしくは旧台東駅に展示されている芸術品を鑑賞してみましょう。
参考資料
台湾の鉄道については、多くのガイドブックなどで紹介されています。
『台湾鉄道パーフェクト : 懐かしくも新鮮な,麗しの台湾鉄道』(交通新聞社、2014年)、片倉佳史『台湾鉄道の旅 : 全線全駅路線図付き車窓ガイド』(JTBパブリッシング、2011年)などを読んでみましょう。やや専門的な書籍としては、小牟田哲彦『大日本帝国の海外鉄道』(東京堂出版、 2015年)、 高橋泰隆『日本植民地鉄道史論 : 台湾、朝鮮、満州、華北、華中鉄道の経営史的研究』(日本経済評論社、1995年)などがあります。
- ウェブサイト
- 台東観光旅遊網(台東県政府) https://tour.taitung.gov.tw/ja/attraction/details/848
- 所在地
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台東県台東市台東県台東市鉄花路369号
- 特記事項
- 台東駅からバス