交通部観光局提供、雲林県政府撮影
西螺大橋
西螺大橋
台湾最長の河川を眺めながら台湾の産業開発の歴史を学ぼう!
台湾最長の河川・濁水渓にかかり、西螺の街と対岸の彰化県をむすぶ西螺大橋は台湾南北の自動車交通の要として、戦後初期の台湾の産業交通を支えてきた場所の一つです。もともと西螺の一帯は中小河川が入り乱れ氾濫をくりかえす氾濫原でしたが、日本統治中期の治水工事を経て、西螺は周辺の農産品の集散地および加工拠点として発展を遂げました。現在の西螺の町は、日本式と伝統式の醤油を製造する老舗会社がある、台湾でも珍しい区域となっています。戦後の1953年に開通した西螺大橋は、完成直後にはアメリカのゴールデン・ゲート・ブリッジに次ぐ長さの鉄橋として「極東第一の大橋」と称されました。1960年代にはお札(10元札)のデザインへ選ばれるなど、西螺大橋は一時戦後台湾を象徴する建築でした。
学びのポイント
日本と中華民国の2つの政権はなぜ濁水渓の水路の統合に力を入れたのでしょうか?
濁水渓は台湾本島をほぼ南北に分断する位置に流れています。かつての濁水渓支流はしばしば氾濫を起こしており、1910年代には開通間もない鉄道(南北縦貫線)も被害を受けました。日本統治中期、堤防建設によって諸河川をせきとめ、西螺沿いのルートへ濁水渓の流れを集中させる治水工事が行われたことで鉄道橋の保護が容易になり、台湾本島の南北をつなぐ鉄道での物資や人(軍隊を含む)の輸送が安定して行えるようになりました。同時に氾濫の減少によって濁水渓の両岸はサトウキビ・水稲・大豆などを生産する農業地帯として発展していきました。しかし日本統治期を通じ濁水渓には中流に一本の鉄道橋がかかるのみで、雲林県・彰化県の沿岸部の人々にとって濁水渓は大きな交通の障害であり続けました。
濁水渓の川の色はなぜ黒みがかった灰色なのか?
流れに色のついた大河川として有名なのが黄河です。長期にわたる岩石の風化・堆積で形成された砂粒(黄土)の層が水で洗い流され黄河の流れに混ざっているため黄河の水は黄色がかっているわけです。では、濁水渓の水の色はなにに由来しているのでしょうか。台湾本島を南北にはしる中央山脈西側の山岳地帯はプレートの衝突で古代の海底が持ち上げられて形成されたとされています。中央山脈西側に源流をもつ濁水渓は流れの急な上流部で古代に形成された堆積岩や粘板岩の層を削り取り、その泥粒が混ざることで全体として黒みがかった灰色となっています。地表に露出した中央山脈西側の泥岩や粘板岩の層のうち大規模なものは高雄市の「田寮月世界」が代表的です。
濁水渓の下流に橋(西螺大橋)の建設がめざされた背景は?
日本統治期、濁水渓には中流に一本の鉄道橋がかかるのみで、雲林県・彰化県の沿岸部の人々が濁水渓を渡るには、内陸まで出向き鉄道に乗るか、竹筏の渡し船を用いるか、場合によっては徒歩での渡河を試みざるをえませんでした。1930年代、新しい輸送手段・自動車の普及をふまえて道路橋(西螺大橋)建設が始められますが、戦争による物資不足で工事は中断に追い込まれてしまいます。第二次大戦後もその工事予算の大きさゆえ、地元からの度重なる陳情にもかかわらず橋の工事は延期され続けていました。ところが1950年に朝鮮戦争がはじまると、アメリカは中ソ陣営への対抗から台湾への軍事的・経済的支援を開始(通称「美援」)し、この援助予算と鉄鋼材料の提供を受けて西螺大橋は念願の開通(1953年)へたどりつきました。西螺大橋開通によって濁水渓下流にできた新たな交通路は、1970年代の高速道路開通まで台湾南北をつなぐ自動車交通の主役でした。
さらに学びを深めよう
- 【事前学習】【事後学習】濁水渓流域は濁水米として知られる古くからの米の産地でもあります。台湾と米の生産の歴史について調べてみましょう。
- 【事前学習】【事後学習】台湾出身の直木賞作家・邱永漢の小説「濁水渓」は、邱永漢自身の少年期、青年期の経験が色濃く反映されています。このタイトルに込められた複雑な思いを読み解いてみてください。
- 【現地体験学習】西螺大橋の近くには、いくつか醤油工場があります。その一つ、丸荘醤油観光工場で、醤油づくりを体験してみましょう。
参考資料
台湾の自然地理について単独で記載した日本語の書籍は稀です。幸い濁水渓については、やや古いものの論文で野島虎治「濁水溪の河川改修と砂防」『水利科学』65号、1969年があり、アグリナレッジから閲覧可能です。アーケード建築を含む台湾の民家については郭中端・堀込憲二『中国人の街づくり』(相模書房、1980年)が現在でも参考になります。丸莊醬油ほか西螺の醤油産業についてはTaiwan Panoramaの記事「黒豆生産から醸造まで 昔ながらの本物の味―西螺の醤油」を参照するといいでしょう。邱永漢『香港・濁水渓』(中公文庫、1980年)所収の直木賞候補小説「濁水渓」には、日本統治期に生まれた主人公の複雑な思いが濁水渓の描写に表されています。
- ウェブサイト
- 交通部観光局https://jp.taiwan.net.tw/m1.aspx?sNo=0003115&id=5467 雲林文化旅遊網(雲林県政府)https://jp.tour.yunlin.gov.tw/jp/index.asp?au_id=69&sub_id=101&id=66
- 所在地
- 雲林県西螺鎮建興路
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