霧社事件について、民族の名称や個人名表記についてまず付記しておきます。「セデッ
ク」民族は、2008年に「正名」が台湾政府に承認されました。それまでセデックは、日本
統治期から「タイヤル(アタヤル)」民族の範疇に入っていたので注意が必要です。2020
年現在、台湾先住民族として全16民族が公認されています。また上に記したように、セデ
ック民族内部の集団も複雑で、トグダヤ、トダ、トゥルクの3グループで言語が異なりま
す。「モーナ・ルド」はしばしば「モーナ・ルダオ」と表記されますが、「ルド」はトグ
ダヤ語の音、「ルダオ」はトダ語の音に近いのです。モーナはトグダヤ人のため、ここで
はトグダヤ語の音を採用します。また「高砂族」は日本統治期に、「高山族」は戦後中華
民国政府期に他者から付けられた名称です。台湾先住民族はそれら他者からの命名を批判
し運動を起こして、自らの正式名称として中国語の「台湾原住民族」という呼称を台湾社
会に承認させていきました。こうした名称について細かく見ていくことが、歴史を学び直
すことにつながっていくことに注意したいと思います。
「モーナ・ルド紀念公園にあるモーナ・ルド像。」中村平撮影
事件の原因は、日常的差別待遇、過酷な出役労働、低賃金と警察官の着服などへの不満
が挙げられています。背景として、長期にわたる日本の強圧的な山地政策と行動の制限も
考えられます。日本統治下の台湾におけるその他の抗日事件や抵抗運動の原因にはどのよ
うなものがあるのか、それらと霧社事件の共通点と差異を考えてみましょう。
霧社事件については、日本の台湾総督府、戦後の中華民国政府、セデック人当事者など
様々な立場から、事件が解釈されてきました。例えば、モーナ・ルド紀念公園とそこで行
われる追悼式は、中華民国政府の見方を表すひとつのあり方です。そこではセデック民族
内部の和解の推進よりも、モーナを中華民族の一員として抗日英雄化しようとする力が強
く働きました。セデック人の中には事件が「抗暴」行為であったという見方もあります。
現在、セデック民族議会が立ち上げられており、セデック人自身により事件と歴史の解釈
が深められようとしています。