日月潭 日月潭

湖から知る日本の植民地統治

中華民国交通部観光局提供、林佳銘撮影

淡水湖の日月潭は、周囲37キロメートルと台湾最大の湖であり、台湾を代表する景勝地としても知られてきました。そのもう一つの顔は、日本統治期に開発された、水力発電の一大拠点であることです。当時の工事は、日月潭周辺に暮らしてきた先住民族サオにも大きな影響を与えました。湖畔にある3つの埠頭(水社、伊達邵、玄光寺)のうち、「伊達邵(イタサオ)」はサオ族の居住地として知られますが、ここはダム建設によって住まいを追われたサオが移住した先でもあります。現在の伊達邵は観光地として賑わっており、2007年にはサオ族の歌や踊りのショー、先住民料理を提供する施設「伊達邵逐鹿市集」が開業しています。

学びのポイント

日月潭は自然景観ではない?

1895年からの日本の植民地統治において、台湾総督府は、鉄道、道路、港湾といった近代的なインフラの整備を次々に進めていきました。水力発電事業もその一つであり、日月潭のダム建設は、台湾の商工業の発展に必要な電力を確保する目的で1919年に着工されました。この工事は、近隣の河川から日月潭に水を引き込み、大規模な貯水池として利用しようとするものでした。これによって日月潭の水面は上昇し、湖の面積は4倍にまで広がったとされます。現在の日月潭の姿は、自然が作り出した景観であると同時に、植民地統治の過程で人為的に作られた景観でもあるのです。

中華民国交通部観光局提供

 

サオ族にとっての発電所建設と観光化

ダム建設や観光化は、湖周辺に暮らしてきた人々にとってはどのような意味をもつのでしょうか。先住民族サオは、人口800人強と少数ながらも、独自の信仰やアイデンティティを維持しながら日月潭の湖畔に暮らしてきた人々です。水力発電のためのダム建設によって日月潭の水面が上昇すると、サオが暮らしてきた湖畔の一部は水没することになりました。これらの地域の人々は、総督府によって強制的に移住させられ、周辺に住むサオの集落をまとめた1つの集住地が形成されました。現在の伊達邵がそれに当たります。ダム建設によって姿を変えた日月潭は、景勝地として知られていきます。これは日月潭の観光化 を促し、サオの人々の暮らしが漢人に同化していく大きな要因になりました。

さらに学びを深めよう

  1. 【事前学習】【事後学習】日本統治期に行われた台湾のインフラ整備について調べてみましょう。
  2. 【事前学習】【事後学習】台湾のインフラ整備がもたらした結果を、複数の側面から考 えてみましょう。
  3. 【現地体験学習】日月潭周辺に残る、サオの伝統文化に関わる場所や目印を探してみま しょう。

参考資料

日月潭の発電所建設については、遠流台湾館編著『台湾史小辞典 第三版』(中国書店、2016年)の「日月潭発電所」の項目に概要があります。サオ族については、末成道男・曽士才編『講座世界の先住民族:ファーストピープルズの現在』(明石書店、2005年)の第5章「平埔」に紹介があります。より詳しく知りたい方は、山路勝彦「台湾サオ族の儀礼的世界と認同の求心性」(『関西学院大学社会学部紀要』第75号、1996年10月)を読んでみましょう。

田本はる菜

ウェブサイト
公式https://www.sunmoonlake.gov.tw/ja 交通部観光局https://jp.taiwan.net.tw/m1.aspx?sNo=0003114&id=412 南投観光旅遊網(南投県政府)http://travel.nantou.gov.tw/jp/detail.aspx?type=scenic&id=453
     
所在地
南投県魚池郷中山路599号