川中島(清流、Gluban)の人々にとって、霧社蜂起とは長らく、恐怖と苦痛に満ちた、忘れ難くも触れ難い記憶でした。中華民国への統治権の移行後、かつての「川中島祠」の跡地に「霧社事件餘生紀念碑」が建てられ、住民によるメモリアルの儀式が5月6日ごとに営まれながらも、蜂起について語られることは断片的でした。1999年の921大地震で碑が倒壊、その復興事業の一環として記念碑の再建と記念館の設置が実現し、2011年公開の映画『セデック・バレ』が施設活性化の追い風となります。現在、餘生紀念館に隣接する碑の脇には神社の奉燈を模したものがあります。これらも、消し得ない歴史記憶を次世代へ継承するモニュメントの一つです。
赤松美和子撮影
霧社事件は「抗日」として説明されがちですが、蜂起に踏み切った人々の希求や生き残った人々の経験を理解するには必ずしも十分とはいえません。当時蜂起に加わらなかった人々の決断も含めて、長期的、立体的に事件の前と後を捉えていくことが大切です。総督府の鎮圧戦に近隣の先住民が動員されたことから、敵と味方に分断され戦わされた人々の経験は、後の世代に複雑な影を落としています。政治的な非難と称揚の的になってきたことも、生き残った人々の傷を深くしています。先人たちの挑んだ「抗暴」は今なお切実な課題だと考える人も少なくありません。
清流部落から東へ山を隔てた霧社台地の一画に、「霧社事件紀念公園」が設けられています。「碧血英風」と刻した門や「烈士」を称える碑など、「中華」の色彩濃厚なモニュメントが目を引きます。投降後に日本の警察に殺害されたとおぼしき人々や蜂起のリーダーとされるモーナ・ルダオの遺骨が、遺族の暮らす清流ではなく、この公園内に納められています。