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鹿港 天后宮

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鹿港 天后宮

台湾最古の媽祖廟の一つで開基媽祖像を祀る

台湾では、海の守り神である媽祖が篤く信仰されており、媽祖を祀る媽祖廟が各地にあります。古都・鹿港の大天后宮が台湾に数ある媽祖廟の中で特に有名なのは、創建から400年以上という長い歴史に加え、媽祖祖廟(福建省莆田市秀嶼区の湄洲島にある媽祖廟の元祖)からもたらされた開基媽祖像が祀られているためです。湄洲島の媽祖祖廟の媽祖像が「文化大革命」で破壊を受けたことで、鹿港天后宮にある開基媽祖像は極めて高い文化的価値を有するに至り、鹿港天后宮は1985年に国定古跡に指定されました。

学びのポイント

台湾最古の媽祖像は、なぜ鹿港に祀られているの?

宋の時代に湄洲島に生まれた林黙娘(リン モーニャン)は、その神通力によって多くの人を海上の危難から救ったとされ、後世、媽祖として世の人の信仰の対象となり、明朝時代には「聖妃」、清朝時代には「天后」の尊称で呼ばれるようになりました。鹿港天后宮の前身は鹿港天妃廟ですが、「后」は「妃」よりもさらに高い身分を表します。鹿港天后宮の媽祖像は、1683年に鄭克塽(鄭成功の孫)を降して台湾を攻略した清朝の提督・施琅が湄洲島の媽祖祖廟から台湾に持ち込んだもので、六体の開基媽祖像の一つであったとされています。また、この廟に現在も掲げられている「撫我則后」の扁額は、施琅により奉納されたものです。

鹿港天后宮の建築の見どころは?

鹿港天后宮の建物には、清朝統治時代から日本統治時期を通じて、何度か増改築が施されています。前殿(三川殿)・正殿・後殿の三つの建物と二つの庭が交互に並ぶ「三進二院」という造りで、上から見ると、ちょうど漢字の「日」の字を成しています。名工の手によって1930年代に再建された三川殿には、芸術の域にまで高められた建築技術の精髄が随所に散りばめられていますが、王樹発の手による八卦藻井は思わず息を飲む美しさです。藻井とは、古い中国建築に見られる装飾的な天井のことです。日本では、長時間見続けてなお見飽きることのない日光東照宮の陽明門を指して「日暮の門」と言いますが、八角形の蜘蛛の巣のように精巧に組み上げられた三川殿の八卦藻井は、さしずめ「日暮の天井」と言えるかもしれません。
さらに学びを深めよう
  • 【事前学習】【事後学習】台湾で盛んな媽祖信仰について、その歴史と現況を調べてみよう。
  • 【事前学習】【事後学習】日本にある媽祖廟の歴史を調べてみよう。
  • 【現地体験学習】現地の人の参拝の方式を観察してみよう。
参考資料
台湾、彰化、鹿港の歴史と文化については、山口修『台湾の歴史散歩(アジア歴史散歩シリーズ)』(山川出版社、1991年)。台湾の神々については、高橋晋一著『台湾 美麗島の人と暮らし再発見』(三修社、1997年)の第5章「神様、この人間的なるもの」、第6章「神・鬼・人のコミュニケーション」に簡潔な紹介があります。さらに専門的知識を深めたい方は、李献『媽祖信仰の研究』(泰山文物社、1979年)、川瀬健一『北港・鹿港の媽祖廟―中国人の民間信仰』(東洋思想研究所、1982年)を読んでみましょう。

(林承緯)

ウェブサイト
公式http://www.lugangmazu.org/ 交通部観光局https://jp.taiwan.net.tw/m1.aspx?sNo=0003113&id=2155 彰化旅遊資訊網(彰化県政府)https://tourism.chcg.gov.tw/AttractionsContent.aspx?id=97&chk=994b9d9e-e61a-4128-8ed3-584e22d35e8c&l=JP
所在地
彰化県鹿港鎮中正路430号