教師の日にのみ開く孔子廟の正門(郭書瑜氏提供)
彰化孔子廟(郭書瑜氏提供)
彰化孔廟
彰化孔子廟
教育文化の発展を支えた台湾中部最大級の孔子廟
彰化孔子廟は清朝時代に建てられた台湾の代表的な孔子廟の一つです。古くから伝わる学問の殿堂であると同時に、台湾中部における文化と教育の発展を示す重要な象徴でもあります。清朝時代の1726年に創建され、1830年に完成しました。軒、扉、窓、彫刻の隅々まで、清朝の南方建築の様式を色濃く残しています。日本統治時代に、建物の3分の1近くが取り壊され、現在の彰化孔子廟は1978年に修復されたものです。今日でも試験に臨む受験生たちは、合格祈願のために受験票を持って彰化孔子廟を訪れます。
学びのポイント
教師の日にしか開かない正門
通常、彰化孔子廟の正門は閉じられています。孔子廟に入るには、正門の両側にある門の下の通路を通らなければなりません。清朝時代、孔子廟の正門は、皇帝や、科挙という当時の官僚登用試験を通った「進士」や「状元」が参拝するときだけ開けられました。台湾では、孔子の生誕記念日の9月28日が「教師の日」とされ、この日だけ台湾各地の孔子廟の正門が開かれ、式典が行われます。
入れ変わった政権と教育の場
彰化孔子廟が建てられた後、その隣に白沙書院が設立されました。白沙書院は清朝時代の台湾府彰化県で科挙を受けるために設立された最初の書院でした。日本統治時代の1897年に鹿港国語(日本語)伝習所が彰化に移され、翌年10月1日に国語伝習所が廃止されるまで、「国語」を教える場となりました。その後、国語伝習所は彰化公学校に変わり、1915年まで近代学校教育の場として使われていました。日本統治時代に、街の整備に伴って孔子廟の壁の一部が取り壊され、周囲にあった池も埋められました。戦後、中華民国政府が彰化孔子廟を引き継ぎ、1970年代には地元の有力者の呼びかけで修復が始まりました。時を経て、1983年に彰化孔子廟は一級古跡に指定されました。今日では教育機関としての役割を終えていますが、彰化孔子廟の創建、改築、修復の歴史は、彰化地区における教育・文化発展の歴史の軌跡を示すだけでなく、台湾が異なる政権のもとで経験した教育機関の変遷を物語っています。
学業に関する願い事が書かれている(郭書瑜氏提供)
さらに学びを深めよう
- 【事前学習】孔子はどのような人物なのかを調べてみましょう。
- 【現地学習】彰化孔子廟には孔子のほかに、どのような人々が祀られているかを確認しましょう。
- 【事後学習】日本にも孔子廟があります。日本と台湾の孔子廟はどう違うかを比べてみましょう。
参考資料
彰化孔子廟の形体については、寺田剛「彰化孔子廟について:特に廟の形体の概略」(『亜細亜大学教養部紀要』1978年)を読んでみましょう。台湾の孔子廟については、専門的ですが、水口拓寿「台湾における『孔子廟と日本』の百二十年:統治者たちの視線をたどって」(『宗教学論集』37号、2018年)もおすすめです。孔子の生涯や思想に関する比較的入手しやすい書籍としては、和辻哲郎『孔子』(岩波文庫、1988年)、貝塚茂樹『孔子』(岩波新書、1951年)、金谷治『孔子』(講談社学術文庫、1990年)、白川静『孔子伝』(中公文庫、1991年)などがあります。孔子のことばを弟子たちがまとめた『論語』や儒教の概要については、金谷治『論語の世界』(NHKブックス、1994年)、加地伸行『論語 増補版』(講談社学術文庫、2009年)、同『儒教とは何か増補版』(中公新書、2015年)などで学ぶことができます。
- ウェブサイト
- 交通部観光署 https://www.taiwan.net.tw/m1.aspx?sNo=0001016&id=2463
- 彰化旅游資訊網(彰化県政府城市暨観光発展処) https://tourism.chcg.gov.tw/AttractionsContent.aspx?id=22&chk=f0f97bd8-a457-499a-b869-614c9aa68709
- 所在地
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台湾彰化県彰化市孔門路30号