校史館として保存活用されている紅楼(山﨑直也氏提供)
國立彰化高級女子中學
国立彰化女子高等学校
中部の名門女子校が物語る台湾の歴史とジェンダー
国立彰化女子高等学校は、台湾中部一古い歴史と伝統をもつ女子中等教育機関です。日本統治期の1919年に、台湾公立彰化女子高等普通学校として創設されました。当時、初等教育を終えた台湾人女子の進学先は台北の第三高等女学校と同校のみでした。戦前から戦後にいたる台湾中南部の女子のライフコースにおいて、同校の存在は大きな意味を持っています。同校は、その100年を超える歴史のなかで、優秀な卒業生を多数輩出しています。植民統治期、権利と平等とを追求した政治社会運動に多くの在校生や卒業生が参加していただけではなく、戦後に台湾の政治、経済、医学、文学などの領域で活躍した有名人も多数います。代表的な卒業生として、看護教育と研究の草分けであり「台湾のナイチンゲール」と称される陳翠玉、彰化県長(知事)や国会議員を歴任した翁金珠、文学者の嶺月、李昂、施淑卿、弁護士でありフェミニズム運動の先駆者でもある尤美女などが挙げられます。
学びのポイント
わが町に女学校を〜日本の台湾統治と植民地女子中等教育
日本統治下では、台湾人を対象とする学校、とりわけ中等教育以上の学校の設置は、日本人のための教育機関に比べると明らかに遅れていました。台湾人の教育とは男性を中心に円滑な統治のために必要な日本語や実技に関わる知識に限られ、台湾人女子教育の重要性は顧みられませんでした。台湾総督府は1919年になってようやく2校目の女子中等教育機関を設置しましたが、その背景には、新式の学校教育を受けた台湾人男性の妻としてふさわしい、日本語や和洋折衷の文化「教養」を身に付けた将来の良妻賢母を育成し、社会統制に資するという意図がありました。台湾社会の側、とりわけエリート層の家庭には、娘に近代教育を与え、学歴という新たな階層的シンボルを獲得させたいという動機も存在しました。18世紀以来、特に清朝統治期において彰化は商業のみならず学問や教育など人文的気風の盛んな地域として知られていました。その土壌もあり、1922年に「彰化高等女学校」と改名された同校も、中部の名望家出身の娘たちが多く通う、憧れの進学先となりました。
植民地政治とジェンダーのせめぎ合い
1925年、台湾史上最初の女性団体、彰化婦女共勵会が誕生しました。会の中心人物の多くは彰化高等女学校の卒業生や在校生でした。近代教育を受け、世界の動向に敏感な新しい世代の女性たちは、家を唯一の空間として束縛されてきた伝統的な性別規範に抗い、「陋習の改革、文化の振興」を会の主旨に定めました。同会は講習会、体育会、講演会などを主催し、女性の社会参加に積極的な態度を示しました。いっぽうで日本側は、女性たちが植民統治下の平等と権利を掲げる台湾文化協会の政治社会運動に合流することを警戒し、同会の活動はしばしば警察や学校当局からの露骨な干渉を受けました。さらに親体制側、旧世代の台湾人などの保守勢力からの誹謗中傷も被り、わずか一年間で解散の憂き目をみました。それでも、戦前に植民統治と伝統規範に立ち向かった彰化高等女学校生の足跡は、今も人々の記憶に残っています。
美しいキャンパスと国際的な人材の育成
彰化女子高等学校校は、彰化駅と八卦山の間の市街地に位置しています。構内にある「紅楼」という歴史的建造物は、同校のシンボルです。1924〜25年頃に建てられたこの煉瓦造りの美しい宿舎棟は、現在、その一部が校史館として使用されています。現在も中部の優秀な女子生徒が集まる同校は、政治、経済、文学、医学などの領域で活躍する著名な人材を輩出してきました。日本との教育交流も盛んであり、2004年以降はほぼ毎年、200名近くの生徒が参加しての日本への研修旅行を実施しています。姫路西高校や長野県松本県ヶ丘高校などとも交流があります。修学旅行の慣習のない台湾では、このように大規模な海外への研修旅行は稀であり、学校がいかに国際交流事業を重視しているかがわかります。
校史館の内部(山﨑直也氏提供)
さらに学びを深めよう
- 【事前学習】台湾では卒業を控えた高校生が作詞・作曲したオリジナルの楽曲を演奏し、ミュージックビデオを制作することが流行しており、全国規模のコンテストも開かれるほどの盛り上がりをみせています。2022年の国立彰化女子高等学校生徒らの作品は日本語に訳され、SNET台湾チャンネルで公開されています。「有你,無畏/あなたがいれば怖くない」(国立彰化女子高級中学、2022年)を視聴し、同校での学校生活に思いを馳せてみましょう。
- 【現地体験学習】同校生徒によるミュージックビデオには、「チョコレイト鶏」(巧克力雞)もあります。キャンパス内には実物が存在します。どこにあるか、探してみましょう。「チョコレイト鶏」の意味するところ、それにまつわる伝説を生徒たちに聞いてみましょう。
- 【現地体験学習】日本統治下の1939(昭和14)年、同校は内地修学旅行を行いました。その際のアルバム『内地旅行記念』は校史館に保存されています。台湾の女子生徒たちが日本で訪れた場所を特定してみましょう。
参考資料
台湾女性史入門編纂委員会 編訳『台湾女性史入門』(人文書院、2008年)は、婚姻、家庭、教育、政治、社会運動、身体、文芸などさまざまな角度から台湾の女性の歴史を解説したわかりやすい入門書です。また、彰化女子高等学校の設立をはじめ、植民統治下の台湾女性と近代学校教育の関係、「新女性」という集団の誕生がもたらした社会的影響については、洪郁如『近代台湾女性史―日本の植民地統治と「新女性」の誕生』(勁草書房、2001年)が参考になります。手早く読める文章としては、洪郁如「ジェンダー・階層・家族」(若林正丈、家永真幸編『台湾研究入門』東京大学出版会、2020年)があります。
- ウェブサイト
- 公式
https://www.chgsh.chc.edu.tw
(中国語)
- 所在地
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彰化県彰化市光復路62号
- 特記事項
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