「1894 甲午戦争 1895 乙未戦争」と書かれた史蹟館の壁面(山﨑直也氏提供)
1895八卦山抗日保台史蹟館
1895八卦山抗日保台史蹟館
乙未戦争の激戦地で日清戦争・下関条約の「その後」を知る
日清戦争の講和条約として1895年に締結された下関条約によって、台湾は清国から日本に割譲され、日本の最初の海外植民地となりました。4月17日の条約締結からちょうど2か月後、日本は台北で始政式を挙行しました。しかし、統治を島の南に広げていく過程はまさに苦難の連続であり、各地で台湾の人々の激しい抵抗に直面しました。この一連の戦いは、台湾の新たな統治者となった日本側から見ると台湾平定(作戦)ですが、台湾では、乙未戦争(あるいは乙未保台戦争または乙未保台戦役)と呼ばれています。その激戦地にある1895八卦山抗日保台史蹟館は、日本と清国の戦争から台湾の割譲に至る経緯と、日本ではあまり意識されない日清戦争・下関条約の「その後」を詳しく知ることができる施設です。隧道(トンネル)を備えた史蹟館の建物は、第二次世界大戦後約30年にわたって防空指揮室として利用された軍事施設であり、その独特な雰囲気は、訪れた人々を戦争と平和をめぐる深い思索に導きます。
学びのポイント
「乙未」とは
漢字文化圏には「六十干支」という紀年法(年の数え方)があります。甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の十干と、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の十二支の組み合わせで年を示すもので、60通りの組み合わせが終わるともとに戻り、そこまでで1つの周期を構成します。日本史で壬申の乱、世界史で戊戌の変法という出来事を習ったことがあるかもしれません。「壬申」と「戊戌」は、その出来事があった年の六十干支で、西暦ではそれぞれ672年、1898年に当たります。1894年に勃発した日本と清国の戦争は、日本では日清戦争と呼びますが、中国語圏では甲午戦争という呼称が一般的です。六十干支で乙未は甲午の翌年、日清戦争の講和条約である下関条約が締結された1895年に当たります。乙未戦争とは、下関条約締結後に台湾各地で発生した日本の軍隊と台湾の人々の一連の戦いのことです。
乙未戦争の最大の激戦地八卦山の戦いとは
台湾は、下関条約で遼東半島(後に三国干渉で清国に返還)、澎湖諸島とともに清国から日本に割譲されました。ただし、条約という政府間の約束は、かならずしも統治権力の円滑な移行を保証するとは限りません。日本の台湾統治に反対する人々は、1895年5月に台湾民主国を建てて抵抗します。1895年5月29日に台湾東北部の澳底に上陸した日本の近衛師団は、6月3日に港を擁する基隆を攻略、唐景崧、邱逢甲といった台湾民主国の指導者が相次いで中国に逃亡する中、6月17日に台北で始政式を執り行います。とはいえ、これをもってただちに全土の統治ができたわけではなく、樺山資紀初代台湾総督が11月18日に台湾全土の平定を宣言するまで、実に5カ月にわたって各地で頑強な抵抗に遭いました。中でも八卦山の戦いは特に激しいもので、『増補版 図説 台湾の歴史』(平凡社、2013)では、「八卦山の役では抗日軍は寡勢で大軍に立ち向かい、戦況は苛烈を極め、全台義勇軍統領・呉湯興、黒旗軍統領・呉彭年などは皆この戦で戦死したが、日本軍の方でも兵馬の疲労著しく、しばし南進を停止せざるを得なかった」(102頁)と特筆しています。1895八卦山抗日保台史蹟館では、激戦の地である彰化で展開した戦闘というミクロな視点と甲午戦争から乙未戦争に至る一連の流れというマクロな視点の両方から、1894~95年の日本と台湾の関係、日清戦争・下関条約の「その後」について理解を深めることができます。
かつての防空指揮室の隧道に配置された史蹟館の展示(山﨑直也氏提供)
さらに学びを深めよう
- 【事前学習】日本の学校の歴史教科書、日本で出版された台湾についての入門書・概説書などで、日清戦争、下関条約による台湾・澎湖島の清朝から日本への割譲、台湾に上陸した日本軍と現地住民との間の各地での激しい戦闘、そして樺山資紀台湾総督による1895年11月の台湾平定宣言に至る一連の過程がどのように語られているか調べてみましょう。
- 【現地体験学習】Googleレンズなど、スマホのカメラ翻訳アプリを活用して1895八卦山抗日保台史蹟館の展示内容を読み、1894〜95年の歴史過程がどのように語られているか、その歴史認識を読み解いてみましょう。
- 【現地体験学習】史蹟館の裏手の八卦山に乙未保台紀念公園という公園があります。この公園にある八卦山乙未抗日烈士紀念碑公園の設置の経緯を説明する碑(1983年6月設置)と、乙未和平紀念公園の整備の経緯を説明する碑(2007年12月設置)を探し、カメラ翻訳アプリを活用して何が書かれているか読んでみましょう。
参考資料
学びのポイントで引用している周婉窈著、濱島敦俊監訳、石川豪・中西美貴・中村平訳『増補版 図説 台湾の歴史』(平凡社、2013)など、台湾の入門書・概説書で、1894~95年の歴史がどのように叙述されているか読み比べてみましょう。日本と清国の間の戦争である甲午戦争と台湾の人々が新たな統治者である日本に抵抗した乙未保台戦役を対置する見方は、台湾でも比較的最近のものであり、そこにはさまざまな考え方があります。やや専門的になりますが、北村嘉恵「『植民地戦争』再考―台湾先住民族の歴史記憶再構築の地点から」(『大原社会問題研究所雑誌』、765号、2022年7月、42〜54頁)、若松大祐「現代台湾史における甲午戦争と乙未戦役:中国の命運から台湾の命運へ」(『東アジア近代史』、21号、2017年6月、37〜55頁)が参考になります。『歴史群像』2024年10月号には、戦史/紛争史研究家の山崎雅弘の執筆による「『乙末戦争』史跡・博物館探訪記」という特集記事が掲載されており、1895八卦山抗日保台史蹟館のほか、桃園市の胡嘉猷乙未抗日紀念碑と1895乙未記憶展示空間、台南市の国立台湾歴史博物館、台北市の台北府城北門が乙美保台戦役を知るためのスポットとして、多数の写真とともに紹介されています。また、戦後の台湾における「(抗日)烈士」の概念の変容については、赤江達也「現代台湾における『烈士』の変容―高雄市忠烈祠の事例から―」(『社会システム研究』、第28号、2014年3月、43〜60頁)という論文があります。
- ウェブサイト
- 彰化旅游資訊網(彰化県政府城市暨観光発展処) https://tourism.chcg.gov.tw/AttractionsContent.aspx?id=111&chk=f2487222-90e5-4c1b-9ec5-1772dd944272&l=JP
- 所在地
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彰化県彰化市中山路二段500号