中興新村台湾省政府大楼(陳文松提供)

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中興新村

中興新村

かつての台湾の行政の中核が今では美しい田園都市に

中興新村は、戦後台湾で最初に建設された計画都市であり、イギリスのロンドンにあるニュータウンをモデルとして建設されました。1956年からは台湾省政府の本拠地になりましたが、1998年に台湾省政府は凍結されました。翌1999年9月21日に台湾中部大地震が発生し、かつて人気のあった中興新村も大きな損害を受けましたが、近年、ある種のノスタルジーを感じさせる場所として脚光を浴び、再生されつつあります。 入り口にある中興新村のアーチは、観光客に人気の場所で、国旗がたなびく旧台湾省庁舎の白い建物がよく見えます。中興新村には1,500の職員寮がありましたが、そのほとんどは台湾省の凍結後には廃墟となりました。近年、政府と地域住民は中興新村の活気を取り戻そうと努めています。
日本統治時代、明治製糖株式会社の営業線鉄道が近くを走っており、戦後は中濁線と呼ばれました。中興新村の設立後、1957年に省政府の前に停車場が設置されました。しかし、1959年の洪水により線路全体が廃止され、事業は終了しました。 その後、新たな交通手段としてバスが利用されるようになりました。

学びのポイント

台湾省政資料館で台湾省政府の歴史を知る

台湾省政資料館になっている建物は、1965年開館の、海外からの賓客に省政府について紹介するための場所でした。資料館には会議室、レセプションルームのほか、台湾歴史遺産展示室、国定古蹟ジオラマ展示エリア、台湾省歴代主席特別展示室などのテーマ別特別展示室もあり、台湾省の歴史や友好都市などについて学ぶことできます。

台湾省の凍結

1949年以降、中華民国の実効支配地域は、台湾省と福建省であり、台湾省が98%以上を占めています。つまり、中央政府である中華民国と地方政府である台湾省との行政地域がほぼ重複していたのです。中央政府と地方政府の行政区域との権限が過度に重複する問題を解決するために、中華民国の国会にあたる立法院は1997年に憲法の第四次増修条文により、同年7月21日、台湾省政府がそれまで持っていた地方自治機能を凍結し、省を非実体化しました。そのため、台湾省庁も台湾省主席の職も不要になりました。
台湾省政府が非実体化されたため、1998年から2017年にかけて、かつての台湾省政府の管轄下にあった各部局は、中央政府の管轄下へと改組されていきました。たとえば、行政院南部共同サービスセンター、行政院中部共同サービスセンター、行政院東部共同サービスセンター、行政院雲嘉南地区共同サービスセンター、行政院金門、馬祖共同サービスセンターなどです。
さらに学びを深めよう
  • 【事前学習】台湾省政府の機能は、1949年から1998年までなぜ存在し続けたのでしょうか。
  • 【現地体験学習】中興新村には、かつて台湾省政府があったことを示しているものが残っていますので、探して写真を撮ってみてください。
参考資料
テ台湾省の凍結については、 小笠原欣幸「台湾の民主化と憲法改正問題 、 若林正丈『台湾―変容し躊躇するアイデンティティ 』ちくま新書、2001年、227-229頁、若林正丈『台湾の政治:中華民国台湾化の戦後史』東京大学出版会、2021年、217-224頁を読んでみましょう。台湾/中華民国という二つの名前の意味、台湾と日本、アメリカ、中国との関係、台湾という例外的事例から考える国家の意味については、SNET台湾のYouTube番組「台湾修学旅行アカデミー 第1回 台湾とは何か?」(講師:松田康博)をご覧ください。

(陳文松)

ウェブサイト
国家発展委員会 https://www.ndc.gov.tw/Content_List.aspx?n=C8316DF82C3486C2

(中国語)

所在地
南投県南投市省府路1号