山線_レールバイク前面(松葉隼提供)

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舊山線鐵道自行車

旧山線レールバイク

「橋」から台湾を眺める

台湾北部の基隆から南部の高雄、潮州などを結ぶ台湾鉄道の西部幹線は、北部の竹南から中部の彰化まで山沿いを走る山線(台中線)と、海沿いを走る海線(海岸線)に分岐しています。両線ともに台湾の大動脈でしたが、山線のうち三義~豊原間は1998年に新線へと切り替えられました。この旧山線の一部は軌道が保存され、レールバイクで楽しむことができるようになっています。また沿線には1935年の地震で倒壊した旧山線の旧線である龍騰断橋があります。

学びのポイント

旧山線は台湾鉄道屈指の「難所」

1908年、基隆から打狗(1920年に高雄に改称)まで台湾を南北に縦貫する鉄道(縦貫線、縦貫鉄道)が開業しました。そのなかでも、特に工事に時間を要した「難所」が、三叉河(1920年に三叉に改称、1955年に三義に再改称)と葫盧墩(1920年に豊原に改称)の間でした。同区間以外は1905年に開業しましたが、この区間は山に差し掛かる区間で、線路の傾斜(勾配)を大きくせざるをえず、トンネルや橋も多数必要であったために、当時の最新技術を駆使してようやく完成しました。

松葉隼提供

歴史を重ねた鉄道路線とその後

1914年に第一次世界大戦が始まり、日本では大戦に伴う好景気(大戦景気)を迎え、台湾でも1910年代後半に空前の好景気を経験することになります。好景気により、鉄道の輸送需要も拡大しましたが、山間部を通過する路線は当時の蒸気機関車にとって負担となり、ボトルネックとなってしまいました。そのため、台湾総督府は竹南から彰化まで勾配の少ない海岸部を走る新路線の建設を進めました(海岸線。現在の海線)。そのため、急行列車や寝台列車など、一部の優等列車が新線を経由することになり、既存路線は山線や台中線と呼ばれることになりました。この台中線も多くの人に利用されましたが、1935年に発生した新竹・台中地震により、トンネルや橋などに大きな被害が出ました。内社川第2橋梁は地震で崩落、現在はレンガ製アーチ橋の一部が残されています(龍騰断橋)。この地震からの復旧には3年を要し、内社川第1橋梁もかけ替えられました。
戦後、台湾の鉄道は機関車も強力になり、1970年代から電化が進められたことで、多くの列車がふたたび山線を経由することになりました。そこで、勾配の緩和と複線化を目的に、三義から豊原の間を新路線に付け替えることとになりました。1998年9月24日、同区間は鉄道営業区間としての歴史を閉じ、ながらく忘れさられることとなりました。

松葉隼提供

観光地として復活した貴重な土木・鉄道遺産

2005年、后里(旧駅)と豊原の間の廃線跡が自転車道として整備されました。さらに2009年、破棄された旧山線を観光資源として活用しようという動きが出てきました。2010年には、一部区間で蒸気機関車が牽引する列車が運転され、観光資源としての本格的な復活が模索されるようになります。2018年には、勝興(旧駅)と6号トンネルの間で、廃線跡を4人乗りの電動自転車(レールバイク)に乗って走ることができるようになりました。廃線跡は、鉄道運行当時の鉄橋やトンネル、駅舎などが保存されています。コースは3つに分かれていますが、そのひとつの勝興駅はかつて台湾鉄道の最高地点(阿里山森林鉄道を除く)であった駅です。路線からは、眼下に景色を一望でき、出発点のひとつである魚坪駅付近には龍騰断橋もあります。

松葉隼提供

さらに学びを深めよう
  • 【事前学習】【事後学習】山を越えるために鉄道ではどのような工夫がされるでしょうか。調べてみましょう。
  • 【現地体験学習】レールバイクに乗ってみましょう。沿線にはどのような施設があるでしょうか。
参考資料
台湾の鉄道については、多くのガイドブックなどで紹介されて おり、『台湾鉄道パーフェクト : 懐かしくも新鮮な,麗しの台湾鉄道』(交通新聞社、2014)、片倉佳史『台湾鉄道の旅 : 全線全駅路線図付き車窓ガイド』(JTBパブリッシング、2011)などを読んでみましょう。やや専門的な書籍としては、小牟田哲彦『大日本帝国の海外鉄道』(東京堂出版、 2015)、 高橋泰隆『日本植民地鉄道史論 : 台湾、朝鮮、満州、華北、華中鉄道の経営史的研究』(日本経済評論社、1995)などがあります。

(松葉隼)

ウェブサイト
公式https://www.oml-railbike.com/index.php
所在地
苗栗県三義郷88号(勝興駅)

特記事項
区間はA(勝興⇄龍騰)・B(龍騰⇄勝興)・C(龍騰⇄6号トンネル/鯉魚潭)に分かれる。各区間往復で1時間程度。午前2便、午後2便。切符はウェブサイトから事前予約、購入のこと。