(台湾の)反原発運動
台湾の反原発運動は、第四原発反対運動とほぼ重なっている。新北市貢寮区(元台北県貢寮郷)にある第四原発(通称核四、正式名称龍門発電所)の反対運動は、1980年代から現在に至る台湾最大の反原子力施設運動であり、第四原発以降の新規原発建設計画はない。
第四原発反対は、地域を越えて全国民を巻き込んだ運動といえる。その建設計画が浮上した1980年代は、国民党による権威主義体制の弱体化が進行していた時期にあたり、アメリカのスリーマイル島原発事故、旧ソ連のウクライナでチェルノブイリ事故により、原発への懐疑的な見方が台湾でも広がっていた。立法委員、知識人と民主化勢力らが反対の声を上げ、1987年7月の戒厳令解除後に、住民の反対組織と環境運動団体が相次いで設立され、反対運動が本格的に展開した。1990年代半ばまで、民主化勢力や民進党との密接な連携のもと、反対運動は抗議活動に加えて原発建設に関する予算審議などの攻防を繰り広げたが、建設阻止には至らず、1999年に発電所の本体工事が着工された。
2000年代になると、民進党・陳水扁政権による「第四原発建設中止」が頓挫し、運動は長期的に停滞した。他方で地道な取り組みが行われ、完工間近の2009年頃から予定地の周辺で再び運動が活発になった。2011年に日本で起こった福島第一原発事故を受けて反対運動は拡大、それまでにない多様な参加者による活動が展開され、運動は再び全国的な盛り上がりを見せる。これらの動きを受けて、国民党・馬英九政権は2014年4月に未完工の第四原発を凍結、さらに2016年には民進党・蔡英文政権が脱原発の方針を採択した。
一方でその後、脱原発政策に対抗する新興勢力が台頭し、2018年から二度にわたって、国民投票によって脱原発の見直しを図ろうとした。このような巻き返しは、2025年5月に、全6基の原発が運転期間を満了し、台湾が脱原発国家になった後も続いている。今後も原子力にも石炭にも頼らないエネルギーシフトが実現するまで、反原発運動は続くだろう。
もっと知りたい方のために
・陳威志「コラム 台湾からみた福島第一原発事故――3・11以後の原発反対運動の再燃」『脱原発をめざす市民活動――3.11社会運動の社会学』新曜社、2016年
・鈴木真奈美「台湾の第四原発計画をめぐる政策と異議申し立て運動: 「『非核家園』の“早期”実現」の選択過程」『アジア太平洋レビュー』大阪経済法科大学アジア太平洋研究センター、2017年、14: 19-34
・鈴木真奈美「台湾の脱原発政策と民意の揺り戻し ~エネルギー転換の課題と
展望~」『地域研究』沖縄地域研究所、2020年、25: 53-75。
