台湾文化協会
1921年10月に台北で結成された民族運動の指導団体。台湾住民の知識向上など文化啓蒙活動を目的とする一方で、特別立法権や予算決定権を持つ台湾議会の設置を日本政府に要求する「台湾議会設置請願運動」の推進母体でもあった。日本統治期に「台湾人」意識の覚醒と台湾の自治を主張したという点で、その当団体の歴史的意義は大きい。 台湾文化協会協会の中心的役割を果たしたのは、第一次世界大戦やロシア革命によって世界的潮流となった「民族自決主義」や「社会主義」に共鳴する台湾知識人たちである。創立当時の会員は1000人余り。総理に林献堂、専務理事に蒋渭水が就任、理事として蔡培火、王敏川、陳逢源、蔡式毅穀、楊肇嘉などが名を連ねた。当初の会員は、学生、医師、弁護士や資産家層が大半を占めたが、のちには農民、労働者も参加した。 文化活動面では、台湾各地に新聞・雑誌閲覧所を設置して定期講演会を実施したほか、各種講習会や夏季学校の開催、演劇や映画の巡回上演をおこなった。統治者の台湾総督府からみれば、これらの活動は政治的で民族的な色彩を帯びていたため、常に警察官の監視のもとでおこなわれ、時には中止や解散を余儀なくされることもあった。 一方、1921年1月から始まった「台湾議会設置請願運動」は、台湾文化協会の政治運動の軸となり、1923年施行の「治安維持法」による厳しい弾圧を受けつつも、15回にわたって実施した。1934年には中止に追い込まれたが、14年間でおよそ1万人以上の署名を集めた。 台湾文化協会は、民族主義者や社会主義者など政治的立場の異なる勢力の集合体だったことから、イデオロギー対立による主導権争いや組織分裂などを繰り返し、その存立は常に不安定な状況に置かれた。1931年、協会幹部が治安維持法違反で検挙されたことをきっかけに壊滅状態となった。 近年の台湾では、台湾文化協会が植民地統治のもとで台湾主体の文化や価値観の啓蒙活動を展開したことが台湾文化協会が高くく評価されている。2001年、民主進歩党政権は協会が設立された10月17日を「台湾文化の日」と制定、さまざまな記念活動をおこなっている。
もっと知りたい方のために
・薛化元主編・永山英樹訳『詳説 台湾の歴史-台湾高校歴史教科書-』(雄山閣・2020年)
・若林正丈『台湾抗日運動史研究<増補版>』(研文出版・2001年)