胎中千鶴

植民地台湾を語るということ

八田與一の「物語」を読み解く

(風響社、2020年)

TAIWAN bunko REVIEW

ナビゲーター

洪郁如

「八田與一のダム」へ行く人の必読書

旅先で心地よく受け取れてしまう植民地遺産は、本質的には一種の困難な遺産である。大学で教えている身として、台湾への教育旅行の相談や感想を聞く機会が多いが、何度も台湾に通ううちに台北を離れて南へ―そして「八田與一のダム」に足が向く、という話をよく耳にする。そうしたとき、私が真っ先におすすめするのが本書である。
八田與一と烏山頭ダムの話がなぜ今日まで語り継がれ、どのように物語化されてきたのかを丁寧に追跡する。その魅力は、その語り口の読みやすさと、裏打ちされた学術的精度の両立にある。公文書、教科書、話題本、新聞をはじめ、記念施設、追悼儀礼を幅広く横断し、語りが成立する場と回路を立体的に見せてくれる。事例に寄り添う記述が導線とする物語分析は面白い。歴史を学ぶ人だけでなく、伝える立場の方、たとえば教育、メディア、観光分野の実務者にも直球で役立つ内容である。

八田の伝記ではなく、「八田物語」である

「八田與一のダム」を訪れる人にとって、本書が提示する最も重要な知見は、八田與一という個人の伝記ではなく、「八田物語」と呼ばれる語りそのものである。近代化の美談を日台関係と結びつけて流通させる語りの枠組みは、ここで明快に解明される。八田技師の実像、日本の台湾統治という大きな歴史から俯瞰した制度と職務上の位置づけ、さらに「八田の発見者」は誰か―いつ、どの文脈で八田を見出し、どの媒体を通じて広げたのか―が検討される。
その語りはまず、台湾側でどのように形成されてきたか。教科書は、清朝統治期に始動した近代化を十分に叙述し、日本統治期の整備を前段階からの連続上に位置づける。李登輝時代には、植民地統治下であっても実現した「近代化」が、台湾の人々の主体性を回復するための資源となった。「日本語世代」の記憶と結びつき、八田は歴史上の人物としても観光資源としても定着していく。だが重要なのは、台湾史の蓄積が進むほど、嘉南平原の住民自身の歴史実践に焦点が移り、八田は「近代化」の後景に置かれるようになった点である。
一転して日本側では、語りのベクトルが異なる。1990年代以降、失われた自信を回復したいという欲望が作用しているという。物語をめぐる日台交流は、人的往来、記念式典、自治体交流を通じて、語りそのものを反復し増幅させる。近年の動向として、「近代化」と並び、今風の「国際人」として八田與一を取り上げる教科書や教育現場にこそ、本書は釘を刺している。「民族差別を嫌がったであろう八田が、それにもかかわらず植民地主義のシステムのなかで生きざるを得なかったこと自体にまなざしを向けるべきだ」。まさに圧巻の指摘である。
八田物語に本格的に切り込む本書は、台湾旅行の価値を底上げする一冊である。
(洪郁如)