校舎(松葉隼撮影)

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明台高級中学

明台高等学校

霧峰林家の名園「莱園」に建つ台中最古の私立高校

台中市にある私立明台高等学校(以下、明台高校)は、山間部に近い霧峰区に位置しています。台湾五大家族の一つである霧峰林家の林献堂(りん・けんどう、1881〜1956)とその長男林攀龍(りん・はんりゅう、1901〜1983)によって創設されました。林家は清朝時代から日本統治時代、そして現在まで台湾を代表する名家として知られ、明台高校の現在の校地には、林家の庭園「莱園」がありました。民族運動家として著名な林献堂は、日本統治時代に台湾議会設置請願運動を主導し、また台湾人の教育の場として台中中学校設立にも尽力するなど、よく知られた人物でした。その長男である林攀龍は、1932年、文化啓蒙組織「一新会」を創設。この組織が、のちの霧峰中学校および私立莱園高校へと発展しました。1982年に職業学校化したのを機に、「明台」の名前を冠するようになり、2001年に現在の明台高等学校となりました。現在は観光・外国語などの学科があり、林家ゆかりの史跡や「林献堂博物館」を備える学び舎として地域に根付いています。

学びのポイント

台湾五大家族のひとつ「霧峰林家」

明台高校の創設者である林献堂・林攀龍らを輩出した霧峰林家は、清朝統治下の台湾で起こった反乱や衝突、外国の侵略に際し、義勇軍を結成して参戦、また義援金を寄付することで、清朝を支援しました。これにより清朝から評価され、次第に頭角を現します。とくに林文察は太平天国の乱(1851〜64年)の鎮圧にも協力するなど、大いに活躍し、清朝から厚遇されるようになります。林家はこの過程で家産を増やし、大地主・富豪となり、台湾を代表する名家として知られるようになっていきます。清朝時代から日本統治時代、現代まで、基隆顔家、板橋林家、鹿港辜家、高雄陳家と並び、「五大家族」と称される権勢を維持しています。現在、明台高校がある土地は、霧峰林家の林文欽が母のために建設した著名な庭園「莱園」があった場所です。

霧峰林家と学校の関わり

明台高校を創設した林献堂は、著名な民族運動家でした。清朝時代に生まれた林献堂は、日本統治時代に台湾議会設置請願運動などの民族自治を求める運動の中心人物として活躍し、広く人望を集めました。林献堂は、日本で清末中国の思想家である梁啓超(りょう・けいちょう、1873〜1929)に出会い、混乱した中国の現状と台湾に対する支援の難しさを説かれます。そこで板垣退助を台湾に招くなど、台湾人の政治的地位向上と権利獲得のために運動をします。林献堂の業績の一つとして、台湾人子弟のための中学校設立を台湾総督府に対して請願し、その資金などを寄付したことが挙げられます。その結果、公立台中中学校が開校し、内容面で大きな制限はあったものの、進学機会に著しい制約のあった日本統治時代の台湾において、台湾人子弟が学びを得る場を提供することになりました。台中中学校は後に台中第一中学校となり、現在の中部台湾を代表する名門校である台中第一高等学校へと発展しました。

明台高校のあゆみ

明台高校の起源は、林攀龍が1932年に霧峰に設立した文化啓蒙組織「一新会」にさかのぼります。フランス、ドイツに留学した林攀龍は、農村地帯である霧峰での文化的啓蒙の必要性を実感していました。林献堂は霧峰での中学校設立を希望していましたが果たせず、1933年に「一新義塾」を設立、中国古典の学習や各種講演会、スポーツ大会、遠足などが行われました。一新会約300人の会員のうち、60名程度が女性であり、男性よりも教育の機会が限られていた女性にとって貴重な教育の場となりました。一新会の活動は、日中戦争の勃発に伴い休止しましたが、1946年に林攀龍が校長を務める台中県立霧峰中学校、そしてこの学校を母体として1949年に成立した私立莱園高等学校につながっていきます。莱園高校は台中初の私立高校でした。1982年、莱園高校は職業学校となり、明台高級家事商業職業高校と改称します。2001年、再び明台高等学校へと改称され、現在は海外の学校などと提携しつつ、飲食・観光・外国語を中心とした学科のある学校となっています。林家の庭園であった莱園にあり、各所にその歴史を伝える史跡が残されています。1999年に発生した921大地震で大きな被害を受けましたが、2025年現在、被害を受けた史跡は復旧しています。前述の梁啓超は1911年にこの莱園を訪れ、その景勝を漢詩に詠んでいます。2018年には、明台高校に「霧峰林家花園林献堂博物館」が開館し、林献堂を中心とする霧峰林家の文物を見学できるようになっています。

林献堂博物館(松葉隼撮影)

さらに学びを深めよう
  • 【事前学習】台湾の教育制度について調べてみましょう。
  • 【現地体験学習】霧峰林家花園林献堂博物館で林献堂について学びましょう。
  • 【現地体験学習】【現地体験学習】莱園を散策し、日本の庭園との違いについて学びましょう。
参考資料
林献堂については、許雪姫「林献堂:台湾人良心の体現者」趙景達ほか編『講座 東アジアの知識人4:戦争と向き合って』(有志舎、2014年)、許雪姫「植民地統治と台湾自治」成田龍一ほか編『民族解放の夢』(アジア人物史第10巻、集英社、2023年)がコンパクトにまとめています。林献堂らが関わった「台中中学校」設立運動については、若林正丈「総督政治と台湾土着地主資産階級」『台湾抗日運動史研究』(増補版、研文出版、2001年)、駒込武『世界史のなかの台湾植民地支配:台南長老教中学校からの視座』(岩波書店、2015年)などで述べられています。いずれも専門書ですが、是非トライしてみてください。

(松葉隼)

ウェブサイト
公式 https://tourism.chcg.gov.tw/AttractionsContent.aspx?id=10&chk=cbdf5fd9-0b1e-4e04-b514-c61b641a3b2e

(中国語)

霧峰林家花園林献堂博物館 https://www.thelinfamily.org.tw/index.aspx

(中国語)

所在地
台中市霧峰区萊園路91号

特記事項
高校は一般公開されていません。同校との交流を希望される場合は、事前に、直接同校、またはSNET台湾事務局にお問い合わせください。