六堆忠義祠の入口(洪郁如提供)

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六堆忠義祠

六堆忠義祠

時代によって変化する客家の人々の境遇とアイデンティティを感じる

屏東県竹田郷にある六堆忠義祠は、地域の人々の信仰の場であり、時代によって変化してきた六堆の客家の人々の境遇とアイデンティティを感じることができる空間です。忠義祠の隣にある屏東県客家文化センターは、客家人の円形集合住宅である客家円楼を模した建物で、中に文物館があります。清朝統治期から現代まで、客家人集落である六堆地域で使われてきた生活用品や仕事の道具が展示され、昔の客家の人々の暮らしぶりを知ることができます。

学びのポイント

六堆忠義祠に祀られた人々

清朝統治期の台湾では、漢民族同士でも異なる族群(エスニックグループ)の間で武力衝突がたびたび起こりました。1721年には清朝政府に対する大きな反乱である朱一貴事件が発生し、治安を守るため、台湾南部の客家人たちは、高雄から屏東にかけて自衛団を組織しました。この地域を「六堆」と言います(「六堆」の意味については、六堆客家文化園区のスポットを参照)。翌1722年には、戦いで犠牲になった人々を祀る場として「忠義亭」が建てられました(1958年に六堆忠義祠に改称)。その後も1732年の呉福生事件や1787年の林爽文事件などを経て、日本統治初期には、屏東南部の枋寮に上陸した日本軍との戦いで亡くなった人々も祀るようになりました。こうして忠義亭は、地域を守るために命を落とした人々を祀る廟として信仰されてきました。

「忠義亭」から「忠義祠」へ―変容する「忠義」の意味

六堆忠義祠は、もともと地域を守るために亡くなった客家の人々を祀る廟として建てられました。しかし、「忠義」の意味合いは、時代の変化とともに変わってきました。1895年、台湾は清朝から日本に割譲され、日本軍が上陸すると、六堆地域では激しい武力闘争が起こりました。第二次世界大戦後、かつての戦いで命を落とした人々は、中華民国政府によって「抗日義士」として称えられました。そして、「忠義」とは単に地域を守ることではなく、「敵国」である日本と戦うことだと強調されるようになったのです。この政府の方針に呼応して、地元の有力者たちは、荒廃した忠義亭を改修し、1958年に六堆忠義祠と改称しました。このように、ここに祀られる人々の「忠義」は、時代や政権の変化によって異なる意味を持っていました。

蔣介石の名前が入った扁額(郭書瑜撮影)


大武山下のオリンピック―六堆運動会

六堆忠義祠と同様、この地域で客家人の団結を促してきた活動に、六堆運動会があります。もともと地域防衛のために形成された六堆では、皆が共に身体を鍛錬することで客家人コミュニティとしての共通意識をつくっていました。しかし、日本が台湾を統治すると、抗日運動を防ぐため、軍事的な訓練が禁じられました。そこで、六堆地域に住む客家の人々のつながりを保つため、六堆テニス懇親大会が開かれるようになりました。1948年には戦後初の六堆運動会が開催されますが、まもなく集会などを禁止する戒厳令が出され、六堆運動会も中止されました。その後も、地域住民のつながりは、さまざまなスポーツ大会を通じて保たれましたが、第2回六堆運動会がようやく開催されたのは1966年のことでした。この運動会は、今も大切な交流の場として続いています。
さらに学びを深めよう
  • 【事前学習】台湾のエスニックグループの一つである「客家」について調べてみましょう。
  • 【現地学習】六堆における六つの「堆」は、相対位置によって名付けられた地域です。それぞれの「堆」は今のどの行政区に当たるかを、六堆忠義祠にある地図を見て確認しましょう。
  • 【事後学習】朱一貴事件が発生した経緯を、客家文化センターの説明と照らし合わせるとともに、他の資料も調べてみましょう。
参考資料
台湾の客家については、小池アミイゴ『台湾客家スケッチブック―客家の人と暮らしにふれる旅』(KADOKAWA、2022年)、田上智宜「第29章 客家人-少数派漢人の言語と伝統文化」赤松美和子・若松大祐編『台湾を知るための72章【第2版】』(明石書店、2022年)を読んでみましょう。清朝時期に、異なるルーツを持つ人々の間で武力衝突が多発しました。その背景と現在の台湾社会に及ぼす影響について知りたい方は、若林正丈『台湾の歴史』(講談社学術文庫、2023年)を読むといいでしょう。

(郭書瑜)

ウェブサイト
交通部観光署 https://www.taiwan.net.tw/m1.aspx?sNo=0001122&id=A12-00391

屏東県政府 https://www.i-pingtung.com/pingtungattractions/%E5%85%AD%E5%A0%86%E5%BF%A0%E7%BE%A9%E4%BA%AD

所在地
屏東県竹田郷龍門路99号

特記事項
文物館は月曜日、国定の休日は休館です。