園区の一角に設置された扉が訪れた人々を時間旅行に誘う(山﨑直也撮影)
勝利星村創意生活園區
勝利星村創意生活園区
飛行場の官舎群から眷村、そして最新の文創空間へ
屏東では、他に先がけて1920年に飛行場が設置され、1927年には福岡県の大刀洗飛行場の陸軍飛行第8連隊が屏東飛行場に移動しました。これにより飛行場の周辺に官舎が建てられ、1920〜30年代の飛行場の拡大につれて官舎の数が増えていきました。戦後、台湾を接収した中華民国政府は、これらの官舎群を中国から台湾に移住した人々の住居に充て、「眷村」(学びのポイント1参照)と呼ばれる独特な生活空間が形成されました。勝利星村創意生活園区は、戦前の飛行場周辺の官舎群と戦後の眷村の跡地を保存・活用し、この場所にかつてあった人々の暮らしを後世に語り継ぐ一方で、単なる懐古趣味を超え、現代のクリエイティビティが新たな活気を生み出す商業・文化空間となっています。
学びのポイント
「台湾らしさ」の一部となった眷村
第二次世界大戦後の1945年に台湾島と澎湖諸島を接収した中華民国政府は、それから4年後の1949年に、国共内戦に敗れて中国大陸から撤退し、首都機能を台北に移しました。この時期に中国大陸各省から台湾に移り住んだ人々の数は実に100万人を超えました。終戦時の台湾の人口が約650万人であったことを考えれば、いかに大規模な人の移動であったかがわかります。これらの外省人と呼ばれる人々が暮らす簡素な住居が立ち並ぶ集落が眷村です。一時は台湾全土に800を超える眷村がありましたが、老朽化などの理由で1980年以降は解体と改築が相次ぎます。人々が肩を寄せ合い、助け合って暮らす眷村では、独特の文化が形成されました。眷村が「台湾らしさ」を示す要素の一つとして、ノスタルジーの対象となったのは比較的最近のことです。2012年、国防部は全国13の眷村を選び、眷村文化園区として保存・活用することを決定しました。勝利新村はこの時に選ばれた13の眷村のうちの一つです。
勝利星村創意生活園区の各エリアと遺構公園
勝利星村創意生活園区は勝利区、成功区、通海区の三つのエリアによって構成され、勝利区に隣接して空翔区、得勝区からなる遺構公園があります。勝利区と成功区は中山路によって結ばれ、徒歩約5分の距離。通海区は、勝利区から成功路を東に十数分歩いた場所にあります。勝利区はかつて眷村だった勝利新村であり、成功区、通海区、空翔区も同じく眷村の崇仁新村で、戦前は三期にわたって拡充された陸軍飛行第8連隊の官舎群があった場所です。現在の園区には、個性的な飲食店や民宿、文創商品を扱うショップ、独立系書店のほか、先住民族文化を取り入れた飲食店やショップなどが立ち並び、台湾の昔と今を同時に感じることができます。また、遺構公園は、廃墟となった建物を有効活用したもので、芸術的要素も取り入れられています。園内では、古い建物の構造を解説する展示なども見られます。
先住民族産業のプラットフォーム「原百貨」のアンテナショップも(山﨑直也撮影)
孫立人将軍行館とゾウの林旺
成功区には孫立人将軍行館という建物があります。もとは1937年に建てられた日本軍の高級官舎で、和洋折衷様式です。建物の名になっている孫立人は中華民国の軍人で、1947年から55年まで、この建物を南部の別邸としていました(台北市に孫立人将軍官邸があります)。往時、広い庭では、シカやウマのほか、ビルマ(現ミャンマー)から贈られ、中国から台湾に渡ったゾウが一時飼育されていました。このゾウは後に台北の圓山動物園に寄贈され、林旺の名前で人気者になりました。孫立人はアメリカの士官学校に学び、日中戦争で数々の軍功をあげた軍の実力者でしたが、1955年に部下がクーデターを画策したとの嫌疑をかけられ、職を解かれて台中に軟禁されます(孫立人事件)。軟禁は蔣介石の死後も解けず、その後継者である蔣経国が死去する1988年まで、32年にわたって続きました。
美しくライトアップされた夜の孫立人将軍行館(山﨑直也撮影)
さらに学びを深めよう
- 【事前学習】屏東飛行場は、ある時期は軍用、ある時期は軍民共用と、時代によって異なる用途で利用されてきました(2011年に民間便が廃止され、現在は軍用空港)。戦前・戦後の屏東飛行場の用途の変遷とその背景にある時代の変化について調べてみましょう。
- 【現地体験学習】さまざまな樹木が楽しめるのも、勝利星村創意生活文化園区の特徴です。台湾の卒業シーズンを彩るホウオウボクの木やライチ、リュウガン(龍眼)、マンゴー、スターフルーツなどの木を探してみましょう。
- 【現地体験学習】勝利星村創意生活園区は、日本統治時代に拡大を繰り返した官舎群がベースになっています。勝利星村創意生活園区の日本語音声ガイドを手掛かりに、最も古い官舎群を探してみましょう。
参考資料
一青妙・山脇りこ・大洞敦史『旅する台湾・屏東―あなたが知らない人・食・文化に出会う場所』(ウェッジ、2023年)の第1章では、作家・女優・歯科医の一青妙さんが勝利星村創意生活文化園区を訪れ、外国人宿泊客第1号として滞在した古民家民宿やカフェ、遺構公園を紹介しています。屏東県のウェブサイトでは、同県の多様なエスニック文化の一つとして眷村文化を紹介しています。RTI(台湾国際放送)のラジオ番組『台湾ミニ百科』でも、2025年7月16日配信の放送で、勝利星村創意生活園区を取り上げています。眷村で独自の発展を遂げた食文化は、台湾の多様な食文化の重要な構成要素の一つであり、陳玉箴著・天神裕子訳『「台湾菜」の文化史』(三元社、2024年)の第4章が参考になります。かつての眷村の光景は、今や「台湾らしさ」を示す一要素となり、ある種の「エモさ」を喚起する記号としてポップミュージックのMVなどに使われるようになっています。2001年にリリースされた台湾の代表的ロックバンド五月天(MayDay)の楽曲「人生海海」のMVは、勝利星村創意生活園区ではなく台北市の嘉禾新村で撮影されたものですが、眷村に普遍的に存在する、誰もが懐かしさを覚える「あの感じ」を映像の中に巧みに閉じ込めた作品と言えます。
