高さ22mの八卦山大仏(山﨑直也氏提供)

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八卦山大佛風景區

八卦山大仏風景区

八卦山にそびえ立つ彰化市のランドマーク

八卦山は古くから彰化の街を防御する要衝として知られていました。彰化の市街地を見下ろすこの山には、各時代に防御施設が築かれました。戦後の1961年に、この地に八卦山大仏が建立され、現在では彰化のシンボルとなっています。八卦山大仏風景区にはいくつかの観光スポットがあり、特に大仏周辺では宗教文化について学ぶことができます。歴史に興味のある方には、1895年に日本が台湾を領有した際の戦闘に関連する史跡を見学できるスポットがおすすめです。また、植物や昆虫の自然観察を楽しみたい方には、ここを起点とする八卦山天空遊歩道が適しています。

学びのポイント

八卦山と彰化

八卦山は戦略的に重要な要塞であり、多数の武装衝突があった古戦場として知られています。18世紀以降、先住民族や漢民族による反乱を鎮圧した清朝政府は、八卦山に砲台などの防御施設を建設しました。現在、八卦山大仏がある場所は、1895年に彰化の街に迫った日本軍と台湾民兵らとの間で激戦が繰り広げられた地であり、北白川宮能久親王率いる近衛師団と頑強に抵抗する台湾民兵らの双方に多くの死傷者が出ました。台湾領有後、日本軍は清朝時代の軍事施設を撤去し、同じ場所に「北白川宮能久親王御遺跡」の記念碑を建てました。1927年には、その近くに能久親王らを祀る彰化神社が建立されました。戦後、社殿自体は取り壊されましたが、参道に架かる銀橋は歴史建造物として保存され、構内には1895年の戦いで日本軍に抗い戦没した数千人の台湾義勇兵を追悼する乙未保台和平記念公園が設けられています。

乙未保台和平記念公園の記念碑(山﨑直也氏提供)

大仏の誕生物語

戦後、1956年に彰化県長(知事)と地元の名士たちが観光促進を目的に、大型仏像の建設計画を立ち上げました。日本統治時代の遺物である能久親王の記念碑を別の場所に移し、1963年にその跡地に当時アジア最大といわれた八卦山大仏が建立されました。高さ22mの仏像は、台湾の伝統的な寺院や廟の建築に長けた名匠、林慶堯によって鎌倉大仏をイメージして設計されました。仏像内部は6階建てで、順に登りながら見学すると、寺院木彫の名手である許炳錥による釈迦牟尼仏の一生を描いた彫刻作品を見ることができます。この仏像は台湾の伝統的な工法と地元の建材が多く使用された作品で、歴史的建築に登録されています。

彰化平原の自然風景

八卦山大仏の前には、9頭の龍が空を仰ぐ半円形の九龍池広場があります。広場からは彰化平原を一望でき、彰化の市街地を見渡すベストスポットとして知られています。ここから山の尾根沿いに全長1005mの八卦山天空遊歩道が伸び、気軽にハイキングできる場所として市民に親しまれています。遊歩道の高さは地上6〜7mで、場所によっては16mに達するところもあります。途中には荷花池生態園区、野球場、彰化生活美学館などがあり、樹木の上を歩きながら、植物の美しさや虫の鳴き声を楽しめます。

彰化の街を一望できる遊歩道(山﨑直也氏提供)

さらに学びを深めよう
  • 【事前学習】アジア歴史資料センターと大英図書館の共同企画として、インターネット特別展「描かれた日清戦争 錦絵・年画と公文書」が公開されています。「台湾での戦闘:台湾総督府と台湾民主国~戦争の終結」という単元を読み、高校の教科書ではあまり触れられていない日本が台湾を武力征服する過程について考えましょう。
  • 【事前学習】【現地体験学習】八卦山大仏のモデルとされる鎌倉大仏の歴史や特徴を調べ、八卦山大仏と比較してみましょう。
  • 【現地体験学習】大仏前の広場から彰化市街地を観察し、Google Mapなどを使用しながら、現在地と大肚渓、彰化駅、彰化孔子廟、彰化女子高等学校などの位置関係を確認してみましょう。
参考資料
日本統治下における市区改正によって、清朝時代以来の彰化の伝統的な生活空間がどのように変わったかを、建築史の視点から分析した青井哲人の『彰化一九〇六年 : 市区改正が都市を動かす』(編集出版組織体アセテート、2006年)はおすすめです。また、日本の台湾領有を題材とした映画『一八九五 乙未』もネット上で鑑賞できます。

(洪郁如)

ウェブサイト
彰化旅游資訊網(彰化県政府城市暨観光発展処) https://tourism.chcg.gov.tw/AttractionsContent.aspx?id=10&chk=cbdf5fd9-0b1e-4e04-b514-c61b641a3b2e
所在地
彰化県彰化市温泉路31号