渡邉義孝撮影

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澎湖馬公稅關派出所

澎湖馬公税関派出所

いまも現役、明治時代の赤煉瓦建築

澎湖は、台湾本島の西方50kmに浮かぶ90の島からなる群島です。最大の島・澎湖島と、白沙島、漁翁島に人口の大半が暮らし、主要産業は観光業と漁業です。別名「風島」と呼ばれるほどに風が強く、高い山もなく土地はやせて農業に適しません。そんな離島でありながら、澎湖は常に台湾の歴史の最前線に位置し、また国際社会と対峙してきました。過去の激動の記憶を刻んだ日式建築のひとつが、この馬公税関派出所です。澎湖県歴史建築(県指定文化財)に登録されています。

学びのポイント

馬公の税関はなぜ重要だったの?

澎湖諸島は、台湾海峡に浮かぶ 離島ですが、歴史の中では非常に重要な場所でした。17世紀はじめの大航海時代、明朝政府や徳川幕府との通商を狙っていたオランダは、まず澎湖諸島に上陸します。明朝の説得でいったん撤退しますが、マカオで英国に敗れると再び澎湖を占領。その後に台南の安平に拠点を移し、ゼーランディア城を築くことになりました。その頃から、澎湖は通商と軍事の最前線でありつづけました。
日本統治時代に入り、近代的な貿易の管理と徴税の体制を確立するため、日本は安平、基隆、淡水、高雄の4大港のみを開港しますが、数年後に追加で8つの特別輸出入港を開きます。その中に澎湖の馬公が含まれていました。そして安平税関の支署として建設されたのがこの建物です。

渡邉義孝撮影

建物の特徴は?

イギリス積みの煉瓦造で、屋根はフランス瓦を葺いています。煉瓦や石を積んだ「組積造」の建物は堅牢で防火性も高いのですが地震には弱いため、控え壁(バットレス)という支えを塀のように取り付けています。外壁に太い柱のようなものが見えますね。
屋根を支える骨組みが「小屋組み」。ここでは、西洋風の小屋組みである「トラス」が採用されています。明治維新の頃に欧米から日本に入ってきた最新の技術を、ここ台湾で使っていたのです。
玄関脇の飾り窓も見どころです。ギリシャ風の柱と三角破風、底を支える持ち送りなど、手の込んだ細工が見られます。古典的な様式を取り入れることで建物に威厳や格式、美しさを加えようとしていたのでしょう。

渡邉義孝撮影

渡邉義孝撮影

3つの時代が同居する施設

日本統治時代の初期である明治期に建てられた本館の他に、戦争中の防空壕が地下に現存しており、さらに戦後増設された倉庫が敷地内に建っています。いわば、日本統治時代初期、戦争中、戦後の「3つの時代」の痕跡を見ることができます。何よりも、本館が今も現役として税関の働きをしているということは貴重なことです。本来の機能を失って文化財として保存されているだけの歴史的建造物も多いですが、ここは「生きた文化財」。先人の知恵と記憶を継承し続けているのです。そして、植樹されて百歳を超えるコウヨウザン(ヒノキ科)やガジュマル(クワ科)の巨木も必見です。

渡邉義孝撮影

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さらに学びを深めよう
  • 【事前学習】【事後学習】澎湖諸島に年中、強い風が吹いている理由は何でしょうか。また、どの方角からの風が特に強いと思いますか。
  • 【現地体験学習】別の島である漁翁島には税関監視署が残っています。こちらは馬公の派出所よりもさらに古い1900(明治33)年築の煉瓦造で、遠くを監視する望楼を備えています。建物の特徴を比べてみましょう。
  • 渡邉義孝撮影

  • 【現地体験学習】]澎湖には、澎湖二崁、陳宅など、福建省にルーツを持つ人びとの伝統的な民家が多数現存しています。平面計画や間取りを、日本の住宅と比べてみましょう。
参考資料
澎湖の廟など澎湖を歴史的な視点からたどるには杉山靖憲編著 . 美濃庄要覧『澎湖を古今に渉りて』(ゆまに書房、2015年)がおすすめです。少し古いですが、歴史家である林衡道が書いた「澎湖島の旅」『海外事情』第6号、1958年9月も読んでみましょう。

(渡邉義孝)

所在地
澎湖県馬公市臨海路31号