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戰爭與和平紀念公園主題館

戦争と和平記念念公園主題館

台湾海峡を望む鎮魂の記念碑―戦争と和平記念公園主題館と労働女性記念公園―

高雄市旗津区は、横幅およそ200メートル、縦幅およそ11キロの細長い島で、市内からは連絡船か海底トンネルを使って移動することができます。台湾海峡に面した旗津は美しい海岸と埠頭近くにある旗津天后宮や旗後砲台などの古跡で有名ですが、そんな島のちょうど真ん中にふたつの鎮魂施設が立っています。ひとつは戦争と和平記念公園主題館で、第二次世界大戦から国共内戦、そして朝鮮戦争にいたる東アジアの戦乱の中で、所属する軍隊を変えながら動員された台湾兵士たちの記念碑と関連資料が展示されています。その斜め向かいにある労働女性記念公園は、1973年に市内に向かう連絡船の沈没事故で亡くなった25名の若い女性工員たちを記念して建てられた場所で、2008年までは「二十五淑女公墓」と呼ばれていました。

学びのポイント

台湾人たちにとっての「戦争」を考える

第二次世界大戦から国共内戦、そして朝鮮戦争と、東アジアで相次いで起こった戦乱に多くの台湾人が兵士や軍属として動員されることになりました。戦争と和平記念公園主題館には、日本軍、国民党軍、共産党軍の軍服を身にまとった台湾人兵士の写真が掲げられていますが、異なる民族や政権に動員された彼らは、いったい何のために、そして誰のために戦ったのでしょうか? 日本統治時代に徴用された20万に及ぶ台湾人元日本兵やその軍属の中には、戦後兵力不足に悩む国民党軍に組み込まれて、中国大陸で行われた国共内戦に動員された者もいました。やがて大陸で支配権を失った国民党軍は台湾へと撤退しますが、共産党軍の捕虜になった台湾人兵士たちの中には、再び徴用されて新たな戦地に向かわされた者までいました。こうした台湾人無名兵士たちの辿った悲惨な過去を忘れないように、記念館の前には台湾無名戦士記念碑が建てられています。

連絡船で沈没した女性たちは、なぜそれぞれの家庭で埋葬されなかったのか?

事故で溺死した25名はすべて未婚の女性で、一番若い者はまだ16歳でした。台湾の古い風習では未婚の女性が亡くなった場合は先祖代々の墓に入ることができないとされていたために、高雄市政府と遺族たちとの話し合いの下、遭難した25名の墓は二十五淑女公墓として、現在の労働女性記念公園のある場所に建設されることになりました。海を背負った25基の真っ白い墓は否が応でも人目を惹く一方、墓の近くでは走行中のバイクが故障するなど、しばしば原因不明の不思議な現象が起こることでも知られました。ある日、お墓に貼られていた写真を見て思わず「きれいだ」と口走ってしまった男性が少女の霊にとりつかれてしまい、最終的に「冥婚」(未婚のまま亡くなった女性の霊と結婚すること)を執り行ったという話など

労働女性記念公園(倉本知明氏提供)

さらに学びを深めよう
  • 【事前学習】【事後学習】陳千武『生きて帰る』(明石書店2008年)など台湾人日本兵について書かれた小説を読んでみて、日本人作家の書いた戦争小説との違いを考えてみよう。
  • 【事前学習】【事後学習】台湾の習慣「冥婚」について調べてみよう。
  • 【現地体験学習】「戦争と和平記念公園主題館」に残された台湾人兵士や軍属、台湾人少年工や慰安婦などの資料を見学しよう。
参考資料
台湾人元日本兵に関しては、日本語で多くの書籍が出ていますが、大まかな歴史的概略を知りたい人は周婉窈『図説 台湾の歴史』(平凡社、2007年)を参考にしてください。小説では自身も日本兵として南洋に出征した経験を持つ陳千武『生きて帰る』(明石書店、2008年)や陳映真『戒厳令下の文学 台湾作家・陳映真文集』(せりか書房、2016年)などがあります。

(倉本知明)

ウェブサイト
公式(戦争と和平記念公園主題館)http://warpeace.khm.org.tw/

(中国語)

所在地
高雄市旗津区旗津二路701号