姚仁喜氏のデザインによる独特な建築(家永真幸氏提供)
館内の様子(家永真幸氏提供)
蘭陽博物館
蘭陽博物館
自然環境の歴史から宜蘭の暮らしを理解できる博物館
台湾東北部に位置する宜蘭県の北部、東シナ海に面した湿地に建つ、独特な外観を持つ県立博物館です。「宜蘭を知るための玄関口」と位置づけられ、宜蘭の自然や文化の保存・保護活動と教育を結びつける役割を担っています。展示スペースは階ごとに「山」「平野」「海」のテーマに分かれ、自然環境の歴史を学びながら、そこに暮らす人々の生活上の工夫や生み出してきた文化が理解できます。実物大の漁船など目を引く展示物も多く、写真撮影などで館内の雰囲気を楽しみながら学ぶことができます。
学びのポイント
地方政治の視点でみた宜蘭の誕生と変遷
1812年に清朝政府は宜蘭に噶瑪蘭庁を設置し、宜蘭は徐々に国家に統治されていきました。しかし、漢民族の入植以前、この地はカバラン(クバラン、漢字では噶瑪蘭)族の居住地でした。18世紀末に大量に移住してきた漢民族によってカバラン族の土地が奪われたため、一部のカバラン族は花蓮や台東の沿岸地域に移住しました。一方、現在16の先住民族の1つとして政府に認定されているタイヤル族は、約250年前に台湾の他地域からこの地に移住し始め、複数の集落を形成しました。その後清朝の統治を経て、1895年から約半世紀にわたり日本の植民統治下に置かれ、戦後は中華民国の時代になりました。館内の展示は、さまざまな政権の下で紡がれてきた宜蘭の歴史について、異なる時期の地図や所蔵品を通じて、わかりやすく解説しています。
「宜蘭を知るための玄関口」というコンセプト
宜蘭県政府(県庁)は1990年代に「生態博物館」というコンセプトを打ち出し、宜蘭そのものをひとつの博物館に見立てることを提唱しました。2024年現在、県内のさまざまな展示施設が「宜蘭博物館ファミリー」の構成メンバーとして位置づけられ、公式ウェブサイトに施設情報がまとめられています。蘭陽博物館は、そのなかでも「宜蘭を知るための玄関口」と位置づけられ、宜蘭の自然や文化の保存・保護活動と教育を結びつける重要な役割を担っています。宜蘭県には三方を山に囲まれ、東側は海に面しているという地理的な特徴があります。山間部は林業や温泉で知られる一方、沿海部ではサンゴの生育やウナギの漁場などが見られます。また、亀山島周辺の海域はクジラやイルカの見物スポットとして知られています。
自然環境に根ざした歴史観
蘭陽博物館の見学者は、1階正門から入館し、まず最上階の4階に上り、3階、2階へと降りていくように設計されています。4階は「山」の自然誌から始まり、人間が自然とどう関わってきたのかが文化史の観点から説明されます。日本統治期の産業開発や森林伐採などの歴史もそのなかで説明され、最後はなぜ自然環境保護や生物の多様性が重要なのかという問いかけで締めくくられます。4階と同様に、3階は「海」、2階は「平原」をテーマに宜蘭の自然から生まれた歴史と文化についての展示が見られます。自然との関わりを軸に歴史が紹介され、清朝や日本、中華民国(中国国民党)による台湾支配といった、統治者を中心とした歴史とは異なる世界の見方を提示しようというメッセージが感じ取れます。1階には子どもたちが考古学の調査を体験できる常設イベント会場もあり、次世代教育に力を入れていることもよくわかります。
さらに学びを深めよう
- 【事前学習】宜蘭県の地理的な特徴を調べてみましょう。
- 【現地学習】蘭陽博物館は宜蘭県の人びとの暮らしをわかりやすく解説するためにどのような展示の工夫を行っているか、館内をめぐりながら考えてみましょう。
- 【事後学習】宜蘭県出身として知られる人物を調べてみましょう。
参考資料
博物館の建物や展示の特徴、周辺環境などについては、館の公式Youtubeの動画「蘭陽博物館-夢土上」(日本語字幕あり)が参考になります。蘭陽博物館以外の宜蘭県内の博物館の公式サイトは宜蘭博物館ファミリー-トップページ (lym.gov.tw)にまとめられています。宜蘭の原住民であるクバラン族については詹素娟「宜蘭平原のクヴァラン族の来源、分布、遷移:哆囉美遠社、猴猴社を中心とした研究」(森若裕子訳、清水純監修)『台湾原住民研究』第24号(2020年)が日本語で読めます。日本による統治が宜蘭の原住民であるアタヤル族の言語に与えた影響については、真田信治「台湾・宜蘭地域に生まれたクレオール」今村圭介、ダニエル・ロング編『アジア・太平洋における日本語の過去と現在』(ひつじ書房、2021年)をご覧ください。
- ウェブサイト
- 公式https://www.lym.gov.tw/jp/
- 所在地
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宜蘭県頭城鎮青雲路3段750号