園区の名前が刻まれた木のモニュメント(松葉隼氏提供)
羅東林業文化園區
羅東林業文化園区
台湾林業の歴史と生活を現代に伝える
羅東林業文化園区は、太平山で進められた林業開発の拠点として栄えた場所が保存、整備され、地域の歴史と自然について学べる場として開放されました。かつてこの場所には林業鉄道の駅や車庫、貯木場などがあり、木材の集積と輸送の中心地でした。また労働者の住居や銭湯も建てられるなど、生活の場でもありました。現在は、台湾林業開発の歴史や輸送システム、地域の歴史を学べる文化施設となっています。園内には当時使用された蒸気機関車やレールが保存され、往時の林業の姿を伝えています。
学びのポイント
台湾の林業と自然保護
台湾は全土の約6割が森林で、林業開発が盛んに進められました。亜熱帯/熱帯地域に位置し、山がちな地形で降水量も多いという好条件から、台湾の林産資源は高く評価されてきました。東京の明治神宮の鳥居にタイワンヒノキが使われたことはよく知られていますが、1992年の沖縄の首里城正殿復元時に使用された木材の多くも台湾から供給されたものでした。台湾の林業開発は清朝統治時代から徐々に始まり、日本統治時代に入ると本格的に進められました。よく知られている阿里山のほか、八仙山、羅東林業文化園区付近の太平山でも林業開発が行われました。台湾林業のほとんどは天然林を基礎として発達しましたが、次第に資源の枯渇が深刻化し、1990年に法律によって天然林の伐採が全面的に禁止されました。
多様な交通手段のリレー
貴重な林産資源は山深い場所に存在し、その切り出しや運搬は容易ではありません。台湾では阿里山森林鉄道が有名ですが、険しい地形を乗り越えて巨大な木材を運搬するためのさまざまな工夫が凝らされています。太平山では主に、一般の鉄道よりやや小型の鉄道(サトウキビ収穫などでも使用されるものとほぼ同じサイズ)とロープウェイ(索道)を敷設し、これらを組み合わせて山からふもとまで巨木を積み降ろしていました。近代的な交通機関が発達する前は川の流れを利用して運んでいましたが、輸送網の整備に伴い、山から運び出される木材の量は増加していきました。
かつて使用されていた蒸気機関車(松葉隼氏提供)
林業に支えられた地域に学ぶ
羅東林業文化園区は、太平山から切り出して運んできた木材を集積し、鉄道などでさらに他の地域へ輸送するための拠点でした。林業用の鉄道は、林鉄と呼ばれていました。現在の羅東林業文化園区の場所は、かつて林鉄の竹林駅と車庫などがあった場所で、ほかに出荷前の木材を保管しておく貯木場、労働者のための住居や銭湯などもありました。林業に従事する人の生活空間でもあったのです。太平山での林業開発は1982年に終了し、林鉄もこれに先立つ1979年に運行を停止しました。園内には当時の蒸気機関車などが保管され、ごく短い距離ですがレールも残されています。ここでは太平山における林業開発の歴史と輸送手段、さらに林業を通じた地域の発展について学ぶことができます。
輸送の拠点であった竹林駅(松葉隼氏提供)
さらに学びを深めよう
- 【事前学習】【事後学習】台湾の林業について調べてみましょう。
- 【現地体験学習】保存されている鉄道を見てみましょう。一般的な鉄道と比べてどのような違いがありますか。また山からふもとまでの輸送の様子を確認しましょう。
参考資料
台湾の林業文化については、行政院農業委員会林務局のサイト『台湾林悠遊網』が参考になります。台湾の他の地域における林業開発については、みんなの修学旅行ナビ「檜意森活村(ひのき村)」、「林田山林業文化園区」もぜひご覧ください。さらに専門的知識を深めたい方は、萩野敏雄『朝鮮・満州・台湾林業発達史論』(財団法人林野弘済会、1965年)をご覧ください。太平山における林業開発についても記されています。
- ウェブサイト
- 台湾山林悠遊網
https://recreation.forest.gov.tw/JP/Forestry/CP?typ_id=0100021
(中国語)
- 所在地
-
宜蘭県羅東鎮中正北路118号