畑村学提供

エリア
テーマ

南庄老街(桂花巷)

南庄老街

老街に息づく客家と先住民の暮らし、そして日本統治の跡

南庄老街は、苗栗県の北東部の南庄郷にある大小の通り沿いの街を指します。 南庄は日本統治時代から戦後にかけて炭鉱や林業で栄え、その後一時廃れましたが、近年は日本統治時代の雰囲気が色濃く残るレトロな街として、週末には台北や台中から多くの観光客が訪れる人気スポットとなっています。
苗栗の他の街と同様、客家が多く暮らし、台湾先住民のサイシャット族やタイヤル族の人々の集落もあります。
老街のメインは何と言っても「桂花巷」です。その入り口には地元の人が衣類や野菜を洗う「洗衫坑」があり、年中清らかな水が勢いよく流れています。2人が並んでやっと通れるほど狭い路地の左右では、その名にちなんで桂花(キンモクセイ)の入ったハチミツやスイーツのほか、地元の豊富な農産物が売られています。

学びのポイント

南庄老街、桂花巷

南庄老街は、十三間老街の比較的開けた通りと、「桂花巷」と呼ばれる狭い路地で構成されています。人気があるのは桂花巷で、路地の左右にひしめくように店が並び、客家特有の食べ物や地元の食材を使った食品が販売されています。桂花巷は、一般には南庄に桂花(キンモクセイ)が多く咲いていることからその名がついたと言われていますが、別の由来も伝わっています。清朝の頃に渡台してきた客家・黄祈英がこの地でサイシャット族の女性を娶り、先住民と仲良く土地の開墾や商売をしていました。ところが、彰化で起こった福佬人と客家の争いに巻き込まれ、役人に追われる身となりました。その時に知り合いだった徐桂花という女性が文化路(桂花巷を通り抜けた先が文化路につながる)の住まいで彼を匿いましたが、後に黄祈英は処刑されてしまいました。徐桂花は刑場から彼の首を持ち帰り、自身も彼に殉じました。後の人が彼女を偲び文化路一帯を「桂花」と呼んだとのことです。

桂花巷(畑村学提供)

乃木坂?乃木崎?

日本統治時代の1897(明治30)年のこと。第3代台湾総督の乃木希典が南庄を視察に訪れた際、上の道に上る坂がぬかるんで非常に不便であることに気づき、改善のために自ら50円を出資したところ、それに賛同する地元の人々も資金を拠出し、後に石の階段が完成したという話が伝わっています。地域の人々は乃木の行為を称えてこの坂を「乃木坂」と名付けたと言われています。現在「乃木崎」と言うのは、「崎」が客家語で階段を意味するからだそうです。

畑村学提供

乃木崎(畑村学提供)

南庄文化会館(旧南庄郵便局)

乃木崎の石段を上り切ったその前方に「南庄文化会館」があります。もとは日本統治時代の1899年に創建された郵便局であり、檜造りの和風の建物でした。現在の建物は1935年の新竹地震で倒壊した後に再建されたものですが、創建当時の面影を色濃く残しています。ここには炭鉱で栄えていた頃の写真パネルや郵便局時代の品が展示され、日本統治時代の南庄の街の面影を知ることができます。旧南庄郵便局は「百年郵局」とも言われ、1992年には苗栗県の歴史的建造物に登録されています。

南庄文化会館(旧南庄郵便局)(畑村学提供)

南庄文化会館(旧南庄郵便局)(畑村学提供)

さらに学びを深めよう
  • 【事前学習】この地で日本統治時代に起きた南庄事件について、山路勝彦「南庄事件と〈先住民〉問題 : 植民地台湾と土地権 の帰趨」(『関西学院大学社会学部紀要』第109号、2010年)を読んで考えてみましょう。
  • 【現地体験学習】十三間老街や桂花巷では、どのような物が販売されているか、伝統的なもの、現代的なものをチェックしてみましょう。
参考資料
南庄事件については、山路勝彦「南庄事件と〈先住民〉問題 : 植民地台湾と土地権 の帰趨」(『関西学院大学社会学部紀要』第109号、2010年)を読んでみましょう。王幼華『土地と霊魂』(中国書店、2014年)は、19世紀後半に台湾で実際に起こった事件をもとに、英国人探検家ホーンと先住民の女性の恋愛を描いた小説です。この小説では大陸から台湾に渡ってきた漢民族同士、漢民族と先住民との土地や利権を巡る激しい対立が描かれており、日本統治以前の台湾について知ることができます。

(畑村学)

ウェブサイト
交通部観光局 https://jp.taiwan.net.tw/m1.aspx?sNo=0003110&id=A12-00178
所在地
苗栗県南庄郷桂花巷